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2009年09月30日

「有害俗悪な番組が多い」テレビ東京・菅谷会長

「有害俗悪な番組が多い」テレビ東京・菅谷会長

 

以下は、9月26日付下野新聞の記事の抜粋。これだけはっきり問題点を指摘できるなら、実行してもらいたい。でも、もう遅いかも。テレビ離れはかなり深刻な状況。

(以下は記事です)

「小さくても最良のキー局に」しもつけフォーラムでテレビ東京会長

下野新聞社主催の第78回「しもつけ21フォーラム」が25日、宇都宮市のホテル東日本宇都宮で開かれ、テレビ東京の菅谷定彦会長が「修羅場での戦い-民間放送界」と題して講演した。経営悪化が顕著な民放界で、「規模が小さくても、クオリティーの高い番組で最良・最強のキー局を目指す」と語った。

 地上波テレビ127社の約半数が赤字となっており、「今年も相変わらず悪い。今がどん底ではないか」と分析。経営悪化の要因として、1兆円を超すデジタル化投資、激減するコマーシャル(CM)、インターネットなどの影響による視聴率低下の3点を挙げた。

 さらに、番組内容の質の低下が一番の問題点と指摘。 「虚偽報道やデータ捏造などだけでなく、全般に有害俗悪な番組が多い。役に立たず、心に残らない番組を作り続けることでテレビが衰退するのは見逃せない」と危ぶんだ。

(抜粋ここまで)

  
タグ :テレビ東京


2009年09月30日

重要なことは記者クラブ廃止

記者会見を全面開放=岡田外相


 (時事通信)
岡田克也外相は29日の記者会見で、外相と副大臣、外務報道官が外務省で行う記者会見を「原則としてすべてのメディアに開放する」と発表した。同日の会見には、外務省記者クラブに所属しないインターネット・メディアやフリー記者、外国人特派員ら30人程度が出席した。

(中略)

「これ以上従来のやり方を続けると(記者クラブに加盟していない記者の)取材の機会を奪うことになりかねず、国民の知る権利にもかかわる」と述べた。
(時事通信のニュースここまで)


取材の機会を奪っているのが、大手メディアと政府です。つまり、皮肉なことですが、政府と大手メディアが「国民の知る権利にもかかわる」ことをおこなっているわけです。まぁ、岡田外相は今回全面開放しましたが、当然のこと。開放するのはあたりまえのことで、重要なことではありません。重要なことは記者クラブを廃止することです。報道は、本来、記者クラブ中心、政府の発表中心であってはなりません。そういうのは超最低レベルの報道です。

  


2009年09月29日

毎日新聞・岸井成格が創価大学の広告に登場

毎日新聞・岸井成格が創価大学の広告に登場

原氏の「新聞への公的支援論議を」には、ほんとうにあきれたが、またまた信じられないのが、毎日新聞の岸井成格氏の毎日新聞に掲載された創価大学の1ページ広告への登場だ(2009年9月9日10ページ)。毎日新聞でコラムを書き、テレビに登場しても、自分の意見を言い、しかも、この創価大学の広告の中でも何か意見を述べている。ジャーナリストが特定の会社や団体の広告に出ていいはずがない。しかも、岸井氏は早稲田大学の客員教授だというから、すごい。早稲田大学の教授さんが創価大学の広告に登場。ほんとうに何でもありだ。

 岸井氏はちなみに67年に毎日新聞に入社し、それ以来、ずっーーーーーーーと同じ会社でご苦労なさったそうだ。現在のタイトルは毎日新聞特別編集委員。ほんとうに「特別」なことをなさる。

岸井氏はワシントンの特派員でもあった。アメリカで仕事をしていた時、アメリカのジャーナリストが広告に出るのを見たことがあっただろうか。最近の日本のメディアはほんとうに何でもありだ。

「新聞への公的支援論議を」なんて言っている前に、自分たちの倫理的な問題を考えた方がいいのではないか。日本のメディアの大きな問題の一つは、信頼性の低下だ。新聞には広告ばかり。政治評論家にコメントを求めず、ふだん取材やリサーチをしていない芸能人に政治・経済のコメントを求める。ジャーナリストが平気で広告やコマーシャルに登場する、つまりその特定の企業を助けていると見ることができる。しかも、コマーシャルや広告に登場するときに、「ジャーナリスト」というタイトルが強調されている。

「新聞不信」「マスコミ不信」が叫ばれるなか、「毎日新聞特別編集委員」が創価大学の広告に登場するとはすごっい「勇気」だ。

それにしても、国民もとことんバカにされている。

  


2009年09月27日

「この沈黙はなんなのか~閣僚就任会見・断想」 阿部浩己 

下記の阿部浩己氏の貴重な意見が掲載されたメールが送られてきましたので、転載します。

阿部氏はヒューマンライツ・ナウの理事長さんです。

「この沈黙はなんなのか~閣僚就任会見・断想」 阿部浩己 


 9月16日に発足した鳩山内閣の閣僚就任会見は、歴史的な政権交代の興奮に支えられてか、この種の会見には珍しく、存外多くの人々の関心を惹きつけたようである。なかでも千葉法務大臣の発言は、国際人権法に携わる私のような者にとってひときわ興趣をそそるものとなった。

 新政権下で取り組むべき課題として法相は、人権救済機関の設置、個人通報制度の受諾、取調べの可視化という3つの事柄に言及したのだが、これらはいずれも国際人権機関からの再三の勧告にもかかわらず、旧政権下ではようとして実現の見込みが立たなかったものである。

 とくに、人権侵害の被害を人権条約機関に訴え出て権利の回復をはかる個人通報制度については、国際人権保障の要としてその存在意義がいやますなかにあって、法務省(法務官僚)が頑として受け入れを拒んできたものであった。「司法権の独立」を損ないかねない、という形式論理をかかげてのことだが、この理由をもって個人通報制度を受け入れられないと言明している国は日本以外世界に1つもない。ちなみに「司法権の独立」を持ち出した張本人が当の司法府でないことは、2002年10月3日の参議院決算委員会における最高裁事務総局総務局長の答弁で確認ずみのことである。

 個人通報制度を備えた普遍的な人権条約には、女性差別撤廃条約のほかにも、自由権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)、社会権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)、人種差別撤廃条約、拷問等禁止条約、移住労働者権利保護条約、障害者権利条約、強制失踪条約がある。現時点で主要人権条約は合計9つと数えるのが通例だが、そのうちの8つに個人通報制度が備わっているわけである。(唯一備わっていない子どもの権利条約にもこの制度を付置しようとする動きが始まっている。)

 条約によっては(たとえば自由権規約や女性差別撤廃条約など)本体の条約とは別に選択議定書という別個の条約を用意し、それに入らないと個人通報を利用できないという仕組みになっているものもあるが、人種差別撤廃条約や拷問禁止条約などのように、条約本体のなかに個人通報制度に関する条項がおかれ、その条項を受諾することでこの制度が利用できるようになっているものもある。日本政府は、選択議定書を1つも締結しておらず、受諾宣言を1つも行っていない。要は、すべての個人通報制度を拒絶しているというわけである。(障害者・強制失踪条約については署名を終えて批准待ちの状態ではあるものの、個人通報制度を受け入れる意思は表明されていない。移住労働者条約は署名もしていない。)

 先進工業国のなかで個人通報制度をまったく利用できない国は日本だけといってよい。独自の路線を突き進むことが絶えない米国にしても、アメリカ大陸・カリブ海にまたがる米州機構内に設置された米州人権委員会への個人申立てができるようになっており、現に米国を相手取って、DV事案を含む数多くの申立てがなされている。アジアの近隣でも韓国やフィリピンをはじめ個人通報制度を利用できるところがふえている。


 個人通報制度の受諾は人権コミュニティにとって積年の悲願というべきものだったが、それを就任早々に法相が颯爽と口にしてのける情景は、政権交代という劇的な事態の進展なくしておよそありえなかったことといって過言でなかろう。

 もっとも、微醺を帯びた感慨にひたりながら深夜の会見の映像を追っていた身には、その場に居合わせた記者たちからの質問が法相の提示した政策課題に一片も触れずに終わったのはとんだ艶消しであった。死刑についての質問が出たのは毎度の儀式とはいえまだしも救いではあったが、記者たちには、法相の政策課題のどこにいかなる意味があるのかについての初歩的な理解が欠けているようにしか見受けられなかった。そうでなくては、意想外に踏み込んだ法相の発言に集団的無反応というあまりにも浮薄な態度を決め込むことなどできなかったのではないか。

 翌日以降の報道をみても、全国紙・地方紙のレベルでは、取調べの可視化について触れるものはあっても、個人通報制度に言及したことの意味合いを論じたものはなかなか見つけられない(9月18日現在)。マスコミにおけるこの沈黙はいったいなにを物語るものなのか。単なる無知あるいは蒙昧といって切り捨ててしまうこともできるのかもしれないが、ただそうだとしても、なぜそこまで無知であり得るのかについては別途考究せねばならぬことではあろう。

 とくに女性差別撤廃条約選択議定書については、本年7月の女性差別撤廃委員会における日本政府定期報告審査にあわせて市民運動がその締結を強くはたらきかけたにもかかわらず、自民党内での猛烈な反発にもあって後退を強いられてしまったという直近の背景事情がある。これはきわめて限定された集団のみが占有する特殊な情報なのではなく、いくばくかの情報アンテナさえもちあわせていれば、ましてや自民党・民主党、法務省、外務省などに日常的に出入りしている人々には、簡単に知り得ることではなかったのか。

 個人通報制度を受諾すると、日本の国内で対処しきれぬ人権問題が国際的な場に持ち出されてしまうことを恐れる向きがあることは承知している。そのどこが悪いのか、とも思うが、そうした思いを嚥下して議論を続けるなら、この制度が利用可能になることにより、制度に忠実な日本では、行政機関と司法機関の人権条約に対する向き合い方が少なからず変わっていくと思う。とりわけ日本きっての「エリート」層を構成する裁判官たちが人権条約に正対する姿勢を見せていくのではないか。

 個人通報制度は、国内で裁判手続きを尽くしてなお救済されぬ事案を国際的な場(人権条約機関)で審査するものである。そこでは当然に国内裁判所における条約解釈のあり方も俎上にのぼる。となれば、エリートの沽券にかけて、条約解釈の過ちを指摘されるような失態を犯すことは避けなくてはなるまい。

 そうとすれば、人権問題は、国際的な場に持ち出すまでもなく、日本の国内(裁判所)で解決される可能性がかえって広がっていくことにはなるまいか。逆説的ではあるが、個人通報制度を受諾することにより、日本の人権問題は日本の国内で国際基準に照らして対処されるケースがふえていくことになるかもしれない。

 それは、内向きの論理に閉ざされがちな日本の司法や行政を外に「ひらいていく」契機ともなる。そしてひいては、裁判員として裁定を下す「日本国民」の思考をグローバルにひらいていくことにもつながっていこう。

 ことほどさように、個人通報制度を受諾することの含意は思念を重ねるほどに広がりを見せていく。新法相の果敢な発言にまるで申し合わせたかのように沈黙を保ったマスコミの人々にも、ぜひその含意を汲み取る作業に従事してもらいたいものである。ほんの少しでいいから、「国際」というものへの関心をもちあわせてもらえないものかと念願する。むろん「国際」とは米国の謂いなどではない。国内の公的機関(行政官僚)にぶら下がって得られる他律的情報に思考を閉ざすのではなく、市民社会や国際社会において台頭する様々な潮流の意義を精確に掴み取る知的センスが報道に携わる人々には欠かせまい。そう期待するのはけっして過大なことではないと思うのだが。

(以上)

 

  


Posted by take at 19:00Comments(0)ニュース 

2009年09月27日

あなたの税金を新聞に?(2)

あなたの税金を新聞に?(2)

前回に続き、8月24日、毎日新聞に掲載された原寿雄氏の「新聞への公的支援論議を」に関して。

 

人生の大部分を同じ会社の仕事に費やし、しかも社長まで務めた原氏は、ある意味、ジャーナリストとしてはほんとうにかわいそうな人間だ。解雇や失業を経験したわけでもない。派遣やバイトで長い間、搾取されてきたわけでもない。狭い世の中で生きてきたのだから、その視点も限られている。しかし、もっとかわいそうなのは、日本の国民だ。このような方が日本のジャーナリズム界で影響力を持っているのだから。

原氏は、一党支配の国家で、最も影響力のある大手メディアのトップにいた方だ。「民主主義社会ではジャーナリズムが不可欠だ」と語っているが、一党支配の国家で、そのジャーナリズムが機能していないことを問題視してこなかった、問題視できなかった方だ。彼の記事では、新聞業界が、再販制度や特殊指定制度を維持するために、政治献金(ほとんどが自民党)をしてきたことも問題視していない。

 

「特定の利害に左右されない道義性の高さを肩代わりできる媒体は、当面ほかに見当たらない」などと述べている。つまり新聞ジャーナリズム以外には見当たらないということだ、「特定の利害に左右されない道義性の高さ」などが、彼の言う「新聞ジャーナリズム」にあるなどと、本気でそんなことを思っているのだろうか。原氏は、現在の日本の社会でほんとうに生活している人か?

残念なことに、原氏の講演を聞き、彼の著書を読む人が少なくない。日本の社会をよく知るジャーナリスト・ウォルフレン氏が言う「悲劇」がここにもある。
(つづく)

  


2009年09月27日

とことんあきれる原寿雄氏の「新聞への公的支援論議を」(1)

とことんあきれる原寿雄氏の「新聞への公的支援論議を」

 

米留学中、日曜日はたいていニューヨーク・タイムス紙の日曜版を買って、町の中心にある書店のカフェで3時間ほど読んでいた(ニューヨーク・タイムスの日曜版をすべて読み切れる人はいないだろう、それほどぶ厚い)。平日はニューヨーク・タイムス紙の他にウォール・ストリート・ジャーナル紙、クリスチャン・サイエンス・モニター紙などをよく読んでいた。アメリカの新聞は情報量がとても多い。多くのことを考えさせられるし、何か学んだという実感がある。

 

日本の新聞は驚かされることが少なくない。文字が大きくなったことを自分たちで祝福しているかのように見えるが、実は、その分情報量が少なくなり、実質的な値上げではないか、という見方はほとんどない。記事の中にはとことんあきれるものもある。その一つが、「新聞への公的支援論議を」という原寿雄氏のご意見だ。8月24日、毎日新聞に掲載された。毎日はメディアに対する厳しい批判記事は掲載せず(つまり、問題だらけのメディアの議論を避けている)、原氏のように新聞に税金を投入するべきなどという自分たちに都合のよい記事は掲載するようだ。

まず、この記事の中で、「インターネットは、オピニオンを飛躍的に発展させたが、その基礎となる『事実』は、自分の仕事や趣味の情報にとどまっているというパーソナルメディアとしての限界がある」と述べているが、何を言っているのか、さっぱり分からない。原氏は、共同通信社の社会部記者から、外信部長、編集局長、そして、社長まで務めた方らしい。しかし、「インターネット」とは何を指しているのかが分からない。また、「インターネット」と一括りしてしまうところがある意味すっごい。

 

原氏は冒頭で「インターネットの普及によって、読者離れと広告離れが深刻化し、いまのままでは日本の少なくない新聞が廃刊や経営規模の縮小を迫られるのは必至だ」と述べている。

今頃、何をおっしゃいますか?もう何年も前からわかっていたことでしょう。わかっていても、危機感が欠如していた、これは多くの人が指摘している。

「インターネットの普及」だけが主な理由だろうか?

「新聞がつまらない」という意見を今まで何度聞いたことか。いくらつまらなくても、新聞はとくに工夫や努力をしてこなかったのではないか。工夫や努力なくても、新規参入を許さない分野なので、生き延びることができたのだ。自分たちの給料は減らず、しかも、大きな会社なので、「安定」していた。また、記者クラブという、専門家いわく、「情報カルテル」を結んでおり、海外メディアやフリーランス・ジャーナリストを排除してきた。原氏はそのような問題にふれていない。現実を直視しないのか、それとも、できないのだろうか。

(つづく)

  


2009年09月21日

NHK国谷裕子が広告に登場

 

NHKの話で思い出したわけではないが、前から指摘したかったのが、「クローズアップ現代」のキャスターの国谷裕子氏が「朝日求人」の広告に登場していることだ(2009年7月26日(日)発行朝日新聞第8面)。朝日新聞もご丁寧にこのページの左上には(全面広告)と太字で書いてくれている。

ブラウン大学という米国の名門大学を卒業、海外メディアにも詳しい彼女は、アメリカでジャーナリストが広告に出ることが考えられないということ、倫理的な問題だということを十分承知しているだろうに、日本では誰も指摘しないから、あるいは、「クローズアップ現代」で取り上げるほどの問題ではないから、かまわないと思っているのだろうか。おたがいに問題だらけのメディア朝日新聞とNHKで「助け合い」でもしているのか?
まったく、日本の人々もバカにされたものだ。

  


2009年09月21日

政治とメディア 音好宏・上智大学教授

音好宏・上智大学教授の(8月24日毎日新聞第9面)貴重な意見。

「新政権に望むメディア対策」というページで「課題多い日本版FCC」という音教授の貴重な意見が掲載されている。日本版FCCに関しては少し説明が必要になるので、機会があるときにふれたい。ここでは、音教授が日本のメディアの大きな問題に言及している。

「これまでの放送行政の決定は、総務省が与党の党内手続きを尊重し、手厚く対応する形で進められてきた。しかし、新政権は、こうした不透明な政策決定プロセスを改めるべきだ。予算の承認を国会で得る必要があるNHKにとっては、こうしたシステムが、政府・与党に太い人脈を持つ政治部記者が幹部に起用されるという慣例を支えてきた。NHKと政治との関係、緊張性や透明性をどう確保するかが問われる。」

これはNHKの元政治記者だった川﨑泰資氏も指摘している政治家とメディアの「癒着」だ。川﨑氏が強調しているのは、元会長だった海老沢氏が政治記者のとき、政治を取材するのではなく、本人が「政治屋」になっていったことだ。それは海老沢氏に限ったことではないということだ。

 

政府がメディアに対する関与を強めたのは1993年に誕生した細川政権下でのことだと音教授はふり返る。

音教授は、テレビ朝日の椿貞良報道局長の発言を自民党が問題視して、椿氏が「放送人として、初めて国会に証人喚問され、強い放送規制に道を開いた。放送の自由への未熟な理解が原因だ」と述べている。

  
タグ :NHK総務省


2009年09月16日

「永田町通信」でサーカス状態

「永田町通信」


とくに最近のメディア報道を見ていて、これが「報道」、「ニュース」だと思ってしまう人も多いのだろう。しかし、最近の報道はどこもかしこもいわゆる「永田町通信」だ。報道のなかに、一般の人々が存在していないのだ。つまり、社会が反映されていない。


朝から晩まで同じようなニュース、誰がどの大臣職に付くかどうか?それをすべて悪いといわないが、肝心の「なぜ」がない。永田町や政治家にへばりついているだけが記者の仕事だろうか?これだけで、「報道」の仕事が成り立ってしまう大手メディアの仕事は楽でしょうがないだろう。


人々が抱えている困難、社会が直面している問題などを知り、そのうえで、政府の取材をするのなら、ともかく、誰々が入閣、でサーカス状態だ。

 

人々の生活が反映されないメディアに明日はない。

  
タグ :メディア


2009年09月14日

日本は「おそろしい国」と言われ 

日本は「おそろしい国」と言われ 

日本政治を研究する外国のある専門家が、以前、彼の友人にもらした言葉がある。

「日本は、ジャーナリズムが機能していないおそろしい国だ」

 

最近の報道を見てもわかるだろう。「小沢ガールズ」の議員事務所が何階になった、とか、当選した議員が、過去に映画か何かで裸になっていたとか、国会内の自民の「城」を明け渡すとか、多くの国民にとっては、どうでもいい話。それよりも景気はいつよくなるのか、景気対策はどうするのか、そのほうがよっぽど大事な話ではないだろうか。最近もある大学生に、「景気が悪いのはいつまで続くのですか」と聞かれたばかりだ。彼女は自分の家の商売を心配しているからだ。これ以上悪くなると、年間100万円以上する授業料の支払いも厳しくなる。

  


2009年09月14日

社員じゃないと人間扱いされない

社員じゃないと人間扱いされない

2007年の春に大学を卒業した人が最近やっと社員なれそうだという話を聞いた。

あと少しで正社員になれるが、現在は「試用期間」でアルバイトだという。彼女は大学卒業後もアルバイトとしてこの会社で仕事をしていた。長いことアルバイトをしているのだから、会社側に今まで彼女が貢献してきたことを話し、正社員にしてもらうよう頼むべきだとアドバイスした。

すると、難しいと思っていたが、良い答えが返ってきた。

すると、周囲の人の態度が激変したという。いままでは挨拶しても、彼女に返事を返すどころか、彼女のことを視界にも入れなかったのに、向こうから挨拶をしてくるようになったという。

なさけない。

残念ながらこのようなことはめずらしくない。

  
タグ :雇用


Posted by take at 17:19Comments(0)雇用

2009年09月12日

八ツ場ダム、何が問題?

八ツ場ダム、何が問題?

何年か前、ある環境団体の集会で八ツ場ダム建設の問題に携わっている市民団体の方の話を聞いたことがある。そこで、八ツ場は「やんば」と読むのだということを知った。最近、新聞、テレビ、インターネットでこのダム建設の問題を知った人も、「やんば」という名前を初めて聞く方が多いのではないだろうか。

 

それが問題なのだ。2015年完成予定のこのダムの総事業費は4600億円だという。それだけの規模のダムが必要かどうかの議論があったが、無視されてきた。

 

インターネットで検索すると分かると思うが、このダム建設に反対している市民団体は少なくない、本格的な活動を繰り広げてきた。裁判も闘ってきた。しかし、メディアは、このダムがほんとうに必要かどうかという議論をおこさないどころか、このダムに関してまったく報道してこなかったことが信じられないと、反対派の人々は首を振っていた。

 

政権が変わり、民主党のもとでは建設が中止になるということで、「八ツ場ダム」は新聞の1面に躍り出てきたのだ。


大手メディアのような大きな会社に勤める人々は、市民運動、市民社会を軽視しがちだ。それが何を意味するかもわかっていないようだ。大手メディアの場合は、自分たち、あるいは権力側と異なる視点を市民団体に持ってこられるのが困るのではないか。

 

先日、日本で市民運動を行っているアメリカ人に会ったが、彼は、フィリピンやバングラデシュなどの国の市民団体と比較して、日本の市民団体は、日本社会においてそれ以上に低く見られていると話していた。

  


2009年09月09日

政治部記者は「美人」も追う

日本の政治記者は「美人」も追う

 

「BARが面白い(1)元イエローキャブのアイドルが店長」
この記事をお書きになった高橋昌之記者は、政治部記者だそうです。この記者さんは、バーの「2人の気さくな美人」を
MSN産経「ニュース」で紹介しているんですね。

 

日本は不景気、失業者は増大、給料は大幅カット、自殺者は年3万人を11年連続越えている。そんな日本で他に記事にすることはないのでしょうか?しかも、この記事が出たときは衆議院解散直前でした。

 

先日、「美女」とか「美人」という表現を公の場で使う人がいなくなったと知り合いと話していたところでした。ところが、大手メディアの政治部記者が「美人」などとニュースサイトで使うこと自体、日本のメディアらしいです。さすが、「プロ」です。

  
タグ :MSN産経


2009年09月09日

「お天気キャスター好感度ナンバーワン」

メディアの仕事をする人のなかでは、政府省庁を取材するだけでなく、政府の一部となってしまう人がいる。報道の仕事に携わる人間が政府の審議会の委員になることはその典型的な例。それをまったく疑問に思わないどころか、「名誉」などと思っている人も少なくないから、ほんと、あきれる。本来なら、政府の外で、政府に対して批判的な意見も聞くべきだが、政府の中で委員会の席に座っているというのだから、考えられない。もちろん、政府にとってはメディア・コントロールしやすい。

 

毎日新聞8月15日第4面の「ひと」の欄で「女性お天気キャスター好感度ナンバーワン」の根本美緒氏が紹介されている。彼女は、毎日新聞と距離が近いとされるテレビ局のニュースに出ている。その彼女の「紹介」というよりは「宣伝」と見られる記事。磯和春美記者が書いたもの。しょせん、大手メディア内の「内輪の話」と見られてもまったくおかしくない。外に出れば、魅力的な「ひと」はいくらでもいるだろうに、大手メディアは「内輪」が好きだ。

 

根本氏は、環境省の「容器包装廃棄物排出抑制推進員」も務めていると書かれているが、毎日新聞は、ジャーナリストが政府の仕事をしていることにまったく疑問を持たないのか?まぁ、他の新聞やテレビでも政府の審議会の委員になっている人がいるから、この新聞だけがおかしいのではないが。

 

もう一つ驚くのは、「6月にはニュース時事能力検定で2級を取得した」ということ。毎日新聞さんは、ご親切にも、彼女がクイズで合格したことを紙面で発表している。もちろん、学ぶことは大切だが、クイズで合格して2級を取ると報道の質がどう変わるのだろうか? 

 

以前、沖縄取材で何度もお世話になった沖縄タイムズの金城英男編集次長のことをよく思い出す(昨日、社に電話したら、もう退職なさったということだ)。

金城さんとは何度か言い合いをしたが、私が「紙面をもっと充実したものにするために、この新聞の記者は何を心がけているのか」と聞いたところ、「できるだけ多くの県民の声を聞くことです」と強い口調で答えてきた。あのときの金城さんの表情とその言葉は忘れることができない。


大手メディアの人も政治家の追っかけばかりしたり、「ニュース時事能力検定」を受けることより、もっと国民の声に耳を傾けるべきではないだろうか。検定試験には出てこないことも知るだろう。

 

  


2009年09月06日

読売巨人軍の「オーナー」って

海外からの記者にこんな質問を受けた。「日本の野球チームの『オーナー』はほんとうのオーナーでない人がほとんどですね。それなのに、なぜ『オーナー』と呼ぶのでしょうか」と。

 

メディアは、球団側が「オーナー」と呼んでいるので、そのまま「オーナー」というタイトルを使っているのだろう。正直言うと、10年ほど前まで自分も気が付かなかった。以前、日本の野球に関して書いてある欧米の新聞記事を読んでいたとき、オーナーが "owner" と引用符が付けられていたので、そこではじめて気が付いた。

 

しかし、球団が新聞社やテレビ局、つまりメディアに運営されている場合は問題ではないか。ほんとうの意味の「オーナー」は会社であるのに、「オーナー」と呼ぶのはどうなのか。しかも、巨人の場合、その「オーナー」は元新聞記者だ。どなたのことを話しているかというと、巨人の滝鼻「オーナー」だ。

 

海外のジャーナリストに日本の野球について話すとき、次のことを説明する。

読売ジャイアンツというチームは読売新聞が運営している。

その新聞にはよくチームの宣伝らしき「記事」があり、それを疑問も抱かずに読む読者が多い。つまり、紙面において、国民に与えるべき情報より、チームに関するその宣伝らしき「記事」が優先されても問題視されない。

その代表の清武英利氏と滝鼻卓雄オーナーは元新聞記者、社会部にいたそうだ。

 

最後の清武氏と滝鼻氏の話をすると、ほとんどの人は信じない。しかし、ほんとうだ、と何度も言うと、そんなのありえるのか、と大笑いしている。

 

しかし、元ジャーナリストがトップにいるこの球団はどんな球団か。野球に詳しくなくてもお分かりかもしれない。「お金にものをいわせて、他球団のエースや4番打者を次から次へと獲得している」と批判されている球団だ。そんな姿勢が紙面にもあらわれていないだろうか。しかも、この新聞が日本で一番部数が多いそうだ。

  


2009年09月04日

民主党とメディア

自民党は大敗したが、問題だらけのメディアは残っている。選挙前に多くの人々と話す機会があったが、ほとんどの人がメディアの問題の深刻さを指摘していた。ある専門家は大メディアの偏向報道が自公政権がここまで続いた原因の一つだと話していた。

 

「どうにかならないのか」と私に聞いてきた人が数人いたが、自己批判なく、批判する人間に対しては排除するメディアでは、「だめです。どうにもなりません」と答えるしかなかった。というより、なぜ、日本の大メディアの仕事をしていない私に言ってくるのかも不思議だと思った。

 

選挙の報道に芸能人や「お笑い」の人間が出ていて、しかも、番組内で政治家に質問までしている。政治評論家、専門家が出ていないのだ。それに対する批判もない。一緒に出ているメディアの人(つまり、ジャーナリスト)はどう思っているのか。小泉氏の構造改革、「郵政民営化」に対してまともな議論をおこなうどころか、それを煽ってきたのが主要メディアだ。その反省も検証もまったくない。というかできないのだろう。

 

鳩山氏が首相になった後のシナリオも何か見えてきそうだ。つまり、鳩山氏の「スキャンダル」が出ると、それで大騒ぎになり、再び、「年金問題」「医療問題」「少子化問題」などの議論はすっ飛ぶ。今のメディアは二つ、三つの問題を同時に報道することはできない。


また、もうすでに始まっているが、官僚からのリークにより、民主党批判も活発化しそうだ。民主党議員が何か失敗らしきこと、問題らしきこと、あるいは誤解が生じるような行動が官僚に目撃されると、それらはすぐに官僚からメディアにリークされ、誇張されて「ニュース」となるだろうとある教授は話していた。私の友人のジャーナリストはいつもこう言っていた。最低のメディアが行うことは「誇張と驚かすこと」だと。

 

重要な点は、日本のニュースには社会と人々が存在していないことだ。国民の多くは変化を求めて、民主党に投票した。言い方を変えれば、自民党と決別した。海外からは「変化を好まない」と見られている国民が308の議席を民主党に与えた。 が、その308議席の背景にある国民の生活、国民が抱えている問題はまったくといっていいほど報道されない。

 

国民がテレビ報道に出てきたと思ったら、高齢者の万引き、ゴミ屋敷、自転車の駅前放置などの「ニュース」くらいだ。また、日本のメディアが「国民」にコメントを求めるときは、渋谷の若い女性か、新橋駅付近を行きかうサラリーマン、あるいは、銀座で買い物中の人々などほとんどワンパターン。彼らが日本の国民を代表しているか?

 

今晩もあったが、バラエティ番組に政治家が出演して、それを見て一緒になって笑っているような国民にもかなり問題があるのもたしかだ。なぜ、特定の政治家だけが出演しているのかという疑問も持たずに。

  


2009年09月03日

自民党の壁崩壊 - ベルリンの壁崩壊から20年後に

1989年のベルリンの壁崩壊から20年も経ちました。

その20年後に自民党の壁が崩壊しました。

(自民党は英語でLDP  The Liberal Democratic Party)

もう10年くらい前だと思いますが、ある経済アナリスト(欧米出身の方)に次のように言われたことがあります。

「日本は絶対に変らない。日本の人々は変化が嫌いだ。だから、いつも政治が混乱していても不景気が続いても日本は絶対に変らない。日本人は最後の最後まで変化しないことを望むので、変化するときはもう手遅れの状態であることが多い」

まさしく今の状態ではないかと思います。

 

以前、日本で活躍していたオランダ人ジャーナリストであるカレル・ヴァン・ウォルフレン氏はあるアメリカメディアとのインタビューで、「日本はどうして変らないのですか?」との問いに、

「変っています。日本では毎日変化が起きています」と興味深い発言をしていました。しかし、その変化のスピードがかなり遅いのだと話していました。

  


Posted by take at 00:47Comments(0)岡目八目

2009年09月02日

「政権交代」は「二大保守党独裁」の誕生

私がお世話になっている半澤さんがリベラル21に投稿なさった記事を転載させてもらいます。
半澤さんの見方は「シニカル」どころか、アメリカの日本政治研究の教授と同じ見方です。
テレビの「選挙報道」に芸能人やお笑いの方々が登場する国の国民は何が起こっているか、何が起こるか、重要なことは
知らせれませんが。
もちろん、日本でも多くの方がそう見ています。小沢氏が「新たな保守党」を来年あたりにつくる
のではないかと見ている専門家も少なくありません。

以下に転載します。

2009.9.1
「政権交代」は「二大保守党独裁」の誕生 

 あえてシニカルな見方を提示する

 

半澤健市 (元金融機関勤務)

    
 第45回総選挙は民主党の圧勝に終わった。
数週間のうちに「政権交代」が実現する。これは日本戦後の画期だろうか。
私はそうは思わない。民主党の308議席獲得は大きな数字だ。だが86年7月第二次中曽根内閣下の衆参ダブル選挙で自民党は衆院に304議席を得た。決して驚異的ではない。むしろ今回総選挙は、「国のかたち」に関する基本政策が論点にならなかったのが特徴である。対立は、「政権交代」のスローガンと対する口汚い反論の応酬であった。「官僚政治」の打破と子育て支援の金額比較がわずかに具体的な論点であった。

三つの基本問題
 基本政策とは何か。思いつくままに私は次の三点を挙げる。

(1)平和憲法に照らしての「外交」政策である。
平和憲法の基本理念の一つは、2回の世界大戦に学んだ人類の叡智だと思う。
小泉内閣は国連決議なき米国のイラク侵略を支持した。米国が誤りを認めたのに日本政府は認めていない。新国会は小泉純一郎を委員会に呼んでその決定経緯と彼の真意を問うべきではないか。リアリズムの名の下に我々は現状追認を許し日米密約を隠蔽してきた。そんな国が独立国であろうか。

(2)内政・外交を通して「新自由主義」か「社会民主主義」かが最大の基本問題である。現代日本少なくとも過去30年間の問題はここに発しここに帰結する。社民主義はアナクロニズムの政策であろうか。そんなことはない。先進国の多くは「社会民主主義」を採用している国家である。日米はむしろ例外なのである。オバマですらニューディールという言語を使っている。最近の「行き過ぎた構造改革の是正」などいう言語に誤魔化されてはならない。

(3)経済の現実認識である。
ワーキングプーア、過労死、サービス残業、年3.5万人の自殺者。エンゲルスは19世紀に「イギリスにおける労働者階級の状況」を書いた。エンゲルスの描いた世界は、GDPが5兆ドルの経済大国の21世紀の現実ではないか。この現実にどう立ち向かうのか。自民党は戦後政治を失政とは考えていないから、エンゲルス的世界を前提としては出発しない。それを引き継ぐ民主党も同様である。

二大保守党独裁システムの誕生
 このような基本テーマは選挙の争点にならなかった。
そういう論議がない選挙戦が「画期的」であったと私は思わない。したがってその結果も「歴史的」でも「画期的」でもない。株価の反応は早くも「政権交代」が画期的でないと予見している。米国も財界も新政権を少しも恐れていない。

「政権交代」は「二大保守党独裁システム」の誕生というのが私の見立てである。これはシニカル(冷笑的)に見えるかも知れない。しかし新聞の大活字とテレビの反復映像は人々に幻想を与えている。一人ぐらいはこういう見方をする人間があってもいいだろう。

  


Posted by take at 11:32Comments(0)ニュース