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2009年03月31日

フリー記者が読売新聞に勝訴

新聞販売黒書の黒藪哲哉氏が読売新聞社に勝訴。まだ、今日の読売読んでいないけど、載っているかな?

以下、JanJanの記事を転載
「押し紙裁判」フリー記者が読売に勝訴


竹谷昇2009/03/31
 読売新聞社が、同社が作成、送付した催告書をフリージャーナリスト黒藪哲哉氏がホームページにアップしたことは著作権法違反であると訴えていた裁判で東京地裁は30日、原告の訴えを斥ける判決を言い渡した。黒藪氏は、新聞社から販売店に届けられたものの配達されない、いわゆる「押し紙」の問題を追及している。黒藪氏の試算では読売新聞の公称発行部数1千万部のうち3割にあたる3百万部が押し紙。金額にして年間700億円に上る。

 「押し紙問題」を追及していたフリージャーナリストの黒藪哲哉氏に送りつけた催告書が同氏のホームページに掲載されたのは、著作権侵害にあたるとして読売新聞西部本社(原告)が削除を求めていた裁判で、東京地裁は30日、「催告書は著作物にはあたらない」などとして、原告の訴えを斥ける判決を言い渡した。

 新聞業界最大の暗部を追及していた一介のフリージャーナリストと世界最大の発行部数を誇る新聞社が争っていた裁判の一審は、ジャーナリストが勝訴した。


「押し紙」とは、新聞社から販売店に届けられたものの配達されない新聞紙のことで、販売店に押し付けることから「押し紙」と呼ばれる。押し付けられた分は販売店の負担となるが、新聞社にとっては販売部数が多ければ高い広告料金を取ることができる。

 裁判の発端は、福岡県筑後地区のある読売新聞販売店々主と、販売経営権の返上を求める読売新聞西部本社との争いに遡る。同社が販売店々主に送った回答書を黒藪氏が自身のホームページに掲載したところ、同社の法務室長から削除を求める催告書が送られてきた。

 黒藪氏はさらにこの催告書も掲載し、削除拒否の姿勢を示した。

 黒藪氏が削除要求に従わなかったことから、読売新聞西部本社は法務室長名で黒藪氏を著作権侵害で訴えていた。

 判決は「催告書は法務室長が書いたものではない」「催告書は著作物には当たらない」などとして読売新聞西部本社法務室長の訴えを棄却した。

 読売新聞西部本社が起こした裁判は著作権侵害の体裁をとっているが、同社のタブー中のタブーである「押し紙問題」を黒藪氏が追及していることへの恫喝である。

 黒藪氏の試算によれば読売新聞の公称発行部数1千万部のうち3割にあたる3百万部が押し紙で、金額にして年間700億円にも上る。

 インターネットの普及で新聞離れが進むなか、新聞社の経営に直結する販売部数を維持するために「押し紙」は、今後さらに増えることが予想される。

 判決の後、黒藪氏は弁護団と共に報告会を東京・本郷の「出版労連」で開き、次のように語った。「言論を封じ込めてしまう手段として裁判が使われている。ジャーナリストの立場から責任を追及していこうと思っている」。

 「押し紙」は読売新聞だけの問題ではない。報告会に出席していた毎日新聞・関町販売所(東京・練馬区)の石橋衛所長は血を吐くようにして訴えた。「10年で22人の販売所長が廃業したり、辞めさせられたりしている。借金まみれで辞めざるを得ない。私も親戚中に借金して何とかつないでいるが限界だ。新聞社のやり方は間違っている」。
以上JanJanからの転載

  
タグ :メディア


Posted by take at 15:24Comments(0)ニュース 

2009年03月31日

新聞業界を守る政治家

新聞はその特権を自分たちの利益のために利用している。自分たちが取材をする政治家、つまり、権力を監視するのではなく、権力を自分たちの利益のために利用する。政治家に手を回し、新聞を守っているのだ。「新聞販売考」というブログで新販売労働者の「今だけ委員長」が3月1日に書いている(いつもこのブログに掲載するのが遅くなってしまうのだが)記事を引用する。新聞を守っている2人の自民党の政治家が登場する。だから、この2人はテレビにもよく登場するのでしょうか?

日販協「公正販売の集い」 来賓はやはりあの二人


 社団法人日本新聞販売協会(略称:日販協、高橋政一会長:朝日)が2月18日、「日販協 公正販売の集い」を開催しました。

 例年開催されているもので、対外向けに新聞販売店側も公正な販売を目指してやってますよ~というアピールするのが目的。全国紙をはじめ各新聞社の販売局長クラスも来賓として招待されます。(追記:日販協本体が毎年行っているのは7月の通常総会のみで、各地区本部や県支部でこのような「集い」が行われているそうですが、地方紙も含めた中央協正副委員長に出席要請して、日販協本体が公正販売の集いを開いたのは、はじめてではないか―とのご指摘を受けました。「例年開催」を訂正します)

(中略)

また、来賓には、今や新聞業界の既得権維持に欠かせない国会議員が招かれました。以下、新聞通信 2月23日付から引用。

高市早苗衆議院議員(経済産業副大臣)
 新聞は、インターネットの普及で非常に厳しい状況になっているが、現在の日本のコンテンツである各媒体の市場規模は、全体で約14兆円。そのうち新聞は約2.4兆円と、まだまだ大きな比重を占めている。新聞には一覧性がり、情報量も多い。そのため他の媒体では代替えできない。



 経産省では、昨年、緊急保障制度をスタートさせた。当初は新聞業界は対象業種に含まれていなかったが、12月10日から新聞業が、12月31日から新聞の小売業を対象業種に入れさせていただいた。すでに利用している人も多く、とくに地方自治体が独自に実施している利子補給制度と合わせて利用していただくことによって、かなり現金で借り換えなどができたという声を聞いている。そのため、引き続き予算をしっかりと計上して取り組んでいきたい。



 大変ご心配をかけていた改正・特商法は、中でも再勧誘禁止規定が成立すると新聞の勧誘ができないということで、山本一太議員が一生懸命働いていただき、私も部会に出席してかなりきついことも申し上げた。



 昨年6月に法律が成立し、政令、省令、ガイドラインを準備し、準備が終了したら今年12月までに施行される予定になっている。適用除外を定める政令の改正案は、現在、パブリックコメントが終了した段階で、今後省令ガイドラインの策定段階となる。



 この中では、未来永劫訪問できないわけではなくて、季節性などを勘案した社会通念上、適当な期間が経過すれば勧誘できるということ。当然、新聞が数カ月おきに購読紙を替える人がいるので、みなさんの要望に沿った形になった。私は、経産省にいる限り文字の一つ一つまでチェックし、みなさんの仕事が困らないように、しっかりと押さえていく。




山本一太参議院議員
 私の亡き父が新聞販売店を始め、今は弟が経営している。父は生前、新聞販売懇話会を立ち上げようと働きかけ設立した。父が亡くなり、私が政治家になり、事務局長を引き受けた。それ以来、再販の問題で何度も戦ってきた。しかし、戦うたびに厳しくなる。それは、時代の流れでもあるし、新聞をめぐるさまざまな状況の変化もあるからだ。とくに特殊指定見直しでの戦いは、本当に大変だった。

 父が新聞販売店を経営していたので、小学生の頃は、配達をしていた。草津なので、旅館に新聞を届けるわけで、ある旅館には15部、ある旅館には20部とまとめて届けていた。もし私が旅館の経営者だったら、不況になれば20部とっていたら10部にしよう、いや2部にしようとするだろう。だから新聞販売店のみなさんは、この不景気でどれだけ苦労しているのかがよく分かる。今度の不況は今までとは違い、周りにいるみんなが影響を受ける不況である。あらゆる業界が影響を受けており、メディアの王様といわれるテレビと新聞にまで不況の波が襲っている。しかし、これは世界同時不況だけの影響ではなく、広告媒体の多様化による面も大きいと思う。時代の流れの中で、メディア業界が試練を受ける時期と、運悪く重なったということ。

 こうした状況の中で、再販、特殊指定を守っていかなければならない理由はシンプルで、戸別配達制度を守るためである。日本の活字文化をしっかり守って、どこに住んでいても同じ情報を受けられるという機会均等を守ることである。

 しかし、戦う時には身の回りをきちんとしておかなければいけない。ルールを守らなければ再販、特殊指定を守ろうといっても戦えない。法令順守を、しっかりとやっていただくことをお願いする。
以上引用終わり。

ここまでが引用

  
タグ :メディア


2009年03月30日

毎日5000人が訪れる森田実HP

政治評論家の森田実氏に聞いたのだが、平均およそ5000人が森田氏のホームページを毎日訪れるという。政局が緊迫した状況になるとその数が15000にまで伸びるという。

サイト内には英語のコラム(日本語のコラムを英訳したもの)もある。英語の勉強にもなる。

下記は森田氏のホームページに関する興味深いブログ記事。
「森田実氏が入手した『米国国債を売らない約束』」  


2009年03月29日

阿久根市 市職員の給与

鹿児島県阿久根市の竹原信一市長と彼のブログが話題を呼んでいる。このブログを一目見ただけでこの人がどんな人だか感じるはず。ここにも陰謀論。

今年1月、自身のブログで「辞めてもらいたい」市議会議員は?とネット投票を募った。2月6日、市議会は市長不信任決議案を全会一致で可決。2月10日市長が議会を解散。

2月23日付けで竹原市長は阿久根市全職員の給与明細を市役所のウェブ上で公開。

http://www.city.akune.kagoshima.jp/sisei/syokuin.pdf


(市民の平均年収は200万円ほどだという。職員の平均年収が700万。日本の人々はほんとうにおとなしい。)

3月22日の出直し市議会議員選挙では反市長派が勝利したため、竹原氏は失職の危機にあるという。

地方公務員の仕事をしている友人は自分たちの給料が高すぎるといつもささやく。「仕事を何もしていないのに、700万円、800万円の給料はおかしい」と。何もしていないことはないと思うが、40代前半の彼の給料は800万円くらいだった。

この給与の問題はあまり議論されない。給与の話になると、メディアで働く人たちの給与が高すぎると言われるのをおそれているのだろうか。

某新聞社の1年目の記者は年収780万円だったという。人生経験が浅く、たいした仕事もしていない新聞の記者がこれだけもらうと彼のためにもよくないだろう。

  


Posted by take at 16:56Comments(0)雇用

2009年03月29日

洗脳される人々

民主党代表・小沢一郎氏の秘書の報道で「かんぽの宿」に関する報道がどこかに飛んでいってしまった。鳩山さん、せっかくメディアのフラッシュを浴びていたのに。「かんぽ...」の問題に関して森田氏は下記の記事の中で述べている。

麻生首相も中川元財務相もどこに行ってしまったのか。

今の新聞やテレビは複数の問題を扱うことができない(あれだけ大きい会社がそろっていて...)。小沢氏をやめさせようとマスコミが必死になっているので、政府や政治家が何をしているかの報道がほとんどない。

ところで景気対策はどうなった?年金問題は?拉致問題は?「派遣切り」の問題は?

下記は農政農協ニュースからの転載
20090319マスコミによる洗脳の危険性に絶えず警戒を -森田実氏の講演から

◆軽蔑される日本 
最近オランダの福祉政策の評価が高い。あちらの大企業には世界で稼いだカネをみんなの幸せのためにと惜しげもなく差し出す姿勢がある。それに比べ日本の経営者は自分の損になることは一切やらないという哲学を基に「自分さえ良ければそれで良いという主義がなぜ悪い?」と開き直る。

 消費税ができてから20年間に国民が負担したのは220兆~230兆円という計算だが、大企業の減税額はその大半の180兆円ほどとなっている。消費税を取って、そのカネで大企業を保護してきた、といえるかどうかは別として数字上はそうなっている。

 最近はテレビの討論番組などでも、大企業だけを保護するのは問題だとの意見が多いが、大企業の代弁者である竹中平蔵元経済財政担当相らは、大企業に負担を求めると、みんな海外へ出ていって国内の雇用がなくなるなどと反論する。

 海外メディアの日本批判も中川昭一前財務金融担当相の酩酊会見と、実質GDPのマイナス12.6%という数字発表から〈日本は世界経済を崩壊させていくのではないか〉と非常に厳しくなった。日本のマイナス速報値はヨーロッパより悪く、アメリカの2倍もの落ち込みとなっている。

 〈中川のような人間を批判しないで守ってきたのはマスコミではないか〉との論評もあり、『ニューズウィーク日本版』3月11日号は「世界が呆れる」「ポンコツ政治」と書いている。 第2次世界大戦前の軍国主義政府も世界から随分批判はされたが、ここまで軽蔑されたのは初めてだ。

◆民営化の裏には
 問題はマスコミだ。03年ごろだったかに「アメリカの保険業界が日本の郵政民営化を進める宣伝をするために5000億円を日本の巨大広告会社に出した」といううわさがウォール街に流れていることを聞いた。

 アメリカは80年代始めから日本の郵便貯金や簡易保険など郵政資金350兆円を吸い上げようとねらって規制緩和を求めてきた。
 そこで、私はうわさの真偽を確かめたところ、否定する人はなく、また「アメリカの常識として、広告費は原則として、ねらいの1%だから350兆円に対して5000億円では安すぎる」という話も出た。

 結果として日本のマスコミは新聞もテレビも、民営化は正しい、規制緩和は正しい、官営は間違っているとの宣伝を徹底して日本国民はマインドコントロールされたかたちとなった。

 こうした宣伝を日本の広告会社に依頼したのはアメリカの巨大広告会社で、テレビ宣伝の場合、番組内容だけでなくキャスターまで洗脳してしまうというプロジェクトを考えたようだ。

 私はできるだけテレビに出て「民営化は間違っている」と主張したが、結局は敗北した。今後は国民1人々々が見識をもってマスコミの一方的報道に立ち向かわないといけない。

 小沢一郎民主党代表の秘書による政治資金規正法違反事件についてインターネットには陰謀説ばかりが出てくる。その側に立った場合私には検察の“郵政隠し”という見方がある。

◆アメリカが恐い
 というのは東京地検特捜部への内部告発が多いのは西松建設関係と、かんぽの宿などの売却をめぐる日本郵政関係だ。どちらを優先的に追求するかで特捜は西松関係を取ったようだ。

 かんぽの宿払い下げ問題などを事件にすればロッキードやリクルート以上の大事件になると私は見る。
 ところが西川善文日本郵政社長は三井住友銀行の出身であり、その裏にはアメリカの証券会社ゴールドマンサックスがある。このため検察はアメリカがらみの郵政には余り触れたくないとして西松を重点とし、国民の目を郵政からそらそうとしたのではないか。

 郵便局長に聞くと、民営化前に各局に保管されていた貯金・保険関係の書類が今春すべて「三井倉庫」に運び込まれ、また送られてくる資料なども三井住友銀行と印字された箱に入っており、日本郵政はまるで、その子会社になったようだとのことだ。

 不況対策としてはカネの供給を急ぐべきであり、積極的な財政出動に踏み切るべきだ。そして公共事業をどんどん実施し、ケインズ経済学を実行することが求められる。

以上農政・農協ニュースからの転載  


2009年03月28日

ケータイ小説 「君のせい」 咲良色

昨年、ニューヨークからNPRのマーク・フィリップスが来日した時に一緒にインタビューに行ったのが咲良色さん。

DeNAの総合ポータルサイトモバゲーTOWNの大ヒット作品となったケータイ小説、「君のせい」を書いたのが彼女。
東京から少し離れたインタビューの場所(つまり彼女が住んでいる町)、取材で知った彼女の私生活に関することを明かさないという条件で1時間ぐらい話を聞いた。

彼女はインタビューを受けるのは初めてだということだった。初めてのインタビューがアメリカのラジオ局とは何かおもしろい。

咲良色さんは20代半ばのとても控えめな方、マークは彼女は「とてもshy(恥ずかしがりやさん)」だねと感想をもらしていた。ケータイ小説を書いた携帯電話を見せてもらったが、ほんとうに普通の携帯電話だった(まったく派手な飾りのない)。もう2,3年使っているという。

彼女のインタビューの一部はNPRが「携帯電話」報道にリンクを貼った。(彼女の声が少し聞こえてしまっている)

この取材のために「君のせい」(上下)を読んだが、とても読みやすかった。しかし、携帯の小さな画面であそこまで構成を考えることができるのが不思議、というかすごい。ケータイ小説を書いている時に読んだ人から励ましのメッセージをもらったことがとても嬉しかったと話していた。  
タグ :メディア


Posted by take at 14:12Comments(0)読書

2009年03月27日

夫の暴力から逃れるのに30年

下記は、以前にドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)に関して書いた記事の一部をもとにしたもの。
(名前は仮名)

しずえは夫の暴力から逃れるのに30年かかった。

1年前のある冬の晩、夫の暴力がふだんにも増してひどく、怒鳴り声とともに拳は容赦なくしずえに振り下ろされ、また、繰り返し蹴られた。夫は彼女の服を切り裂き、裸にした彼女をロープで縛り、家中を蹴り飛ばしながら引きずり回した。

しずえは何とか受話器を手にすることができ、隣に住む息子のおさむに電話をかけて助けを求めた。ドアも窓も鍵がかけられているため、おさむは窓を割って家の中に入り、暴れる夫を取り押さえた。おさむは警察を呼び、夫が警察に連れて行かれる間、おさむ夫婦としずえはその町を後にした。

「その晩の私の顔はあまりにもひどく腫れ上がっていて、とても人間のようには見えませんでした」としずえは振り返る。しずえの体はあざだらけ、尾骨も骨折していた。

しずえは夫のことをあまりよく知らないで結婚した。その後、彼の二重人格を知り、おびえていた。

「6カ月おきにものすごい暴力をふるってきました。暴力をふるう期間が過ぎると、突然、別人のように変わります。急に優しくなり、私にごちそうしたりアクセサリーを買ってくれたりと...」

この繰り返しが30年間続いた。夫が暴力をふるってくる時は、必ずといっていいほど、「おまえ浮気しているんだろう」と根も葉もない言いがかりをつけてきたとしずえは言う。

それでも、しずえは彼を責めずに自分を責めてしまった。日本の女性によくあることだ。

「自分にも落ち度があるのかもしれないと思っていました。誰にも相談できず、すべてを隠していました」

しかし、夕刊の「家庭内暴力」に関する小さな記事を目にすると、他の家庭にも同じような問題があるのかもしれないと思い、図書館に行って「家庭内暴力」の本を読みあさった。

「これは私一人だけの問題ではないのだと自分に言い聞かせました」

政府の調査によると、40パーセントの女性が、我慢していればなんとか乗り切れると考えているという。また、同じ割合の女性が自分にも落ち度があると思い込んでいるそうだ。被害者の周囲の人々や相談を受けた人のなかにも「我慢したほうがいい」と「助言」する者がいるという。いまだに「家庭内の問題」などと思っている人も少なくない。

専門家は、男性は面子をつぶされたことに異常に腹を立て、暴力を振るうケースが日本の場合多いのではないかという。また、メディア、司法、行政、政治や医療などが男性中心のため、女性の視点や立場が無視、軽視されているともいう。 

別の専門家は、景気悪化も多くの男性を精神的に不安定にしている要因の一つにあげる。解雇やリストラ、減給により男性の仕事や社会的地位が脅かされているのだという。
(以上)   
タグ :社会


Posted by take at 18:30Comments(2)DV

2009年03月26日

夫の暴力、3割が経験、「命の危険感じた」1割以上

「悪いのはあなたでない」「暴力をふるったほうが悪い」「我慢してはだめ」
これらは取材でよくお世話になる「スペースえんじょ」のミエさんが暴力を受けた女性に最初にかける言葉だ。
「暴力を受ける私も悪い」と考えがちな女性がかなり多いという。「おまえが悪い」と何回も言われると「そうかな、そうだな」と思ってしまうようだ。つまり、相手は洗脳してくるわけだ。DV犠牲者の周囲にもそんなひどい言葉をかける者がいるという。
男性からの凄まじい暴力の話は何度も聞いた。

参考
日本DV防止・情報センター[あなたの今、子どもたちの明日のために]

ウィメンズネット・こうべ

アジア女性センター

「知っていますか?ドメスティック・バイオレンス一問一答」

DV被害 既婚歴女性の33.2%が「受けた」
J-CASTニュース 2009/03/25
内閣府は2009年3月24日、「男女間における暴力に関する調査」を発表した。
内閣府「女性に対する暴力」に関する調査・研究
配偶者から暴力(ドメスティックバイオレンス=DV)を受けたことがあるか聞いたところ、「身体的暴行」「心理的攻撃」「性的強要」について、「何度もあった」「1、2度あった」と回答した既婚歴のある女性は33.2%。男性17.7%だった。女性1358人、男性1077人が対象。
また、配偶者から何らかの被害を受けたことがある人(女性451人、男性191人)を対象に、「命の危険を感じた経験があるか」質問したところ、女性の13.3%、男性の4.7%があったと回答している。
調査は08年10月~11月、全国の20歳以上の男女5000人を対象とした。有効回収数は3129人で内約は女性1675人、男性1454人。  
タグ :社会


Posted by take at 20:03Comments(2)DV

2009年03月26日

「品格ブームの胡散臭さ」冨山和彦

しつこいようだが、もう一度、松本大氏と冨山和彦氏の書を推薦したい。「この国を作り変えよう」「日本を再生させる10の提言」(講談社BIZ、1200円) 166ページなのですぐに読めてしまう。1200円とコスト・パフォーマンスも非常に高い。もう2回読んだ。
政治、メディアとも60歳以上の男性の影響力がかなり強いせいか、この書は大多数の人々が気がつかない重要な視点を提供していると思う。冒頭の冨山氏による「品格ブーム」批判はとても楽しく読める。  


Posted by take at 15:39Comments(0)読書

2009年03月26日

女性の平均賃金は男性の7割以下、相変わらず

平均賃金が10年ぶりに月額30万円を割ったことがメディアは騒いでいるが、皆さんはこんなにもらっているんだ。うらやましいかぎり。
一般労働者の賃金(月額)[厚生労働省発表による]
男女計 299,1000円
男性  333,7000円
女性  226,1000円
それにしても、相変わらず、女性の平均賃金は男性の7割もいかない。男性の平均賃金1に対して0.6775だ。先進国におけるこの矛盾も強調すべきではないか。やはり、男尊女卑のメディアの世界はこれが「当然」とでも思っているのだろうか。
2008年賃金構造基本統計調査結果の概況  
タグ :雇用社会


Posted by take at 06:09Comments(0)雇用

2009年03月25日

イチローは東京地検もKO

イチローのヒットが決勝打となり、WBCで日本チームは韓国に5-3で勝った。今までパッとしなかったイチローが決めた優勝ということもあり、メディア(とくにテレビとスポーツ新聞)の力の入れようはものすごい。小沢一郎民主党代表秘書の起訴のニュースはかすんだ。しかし、新聞はどうしても小沢代表をやめさせたくてしょうがないようだ。「党内にくすぶる辞任論」(読売新聞)のように。しかし、今の日本では、そんなつまらないニュースより「WBC日本代表優勝でマクドナルドがハンバーガー全品を値引き」(オリコン)の方が「大切」だと感じている人は少なくないだろう。(あるいはイトーヨーカドーのWBC優勝の記念セールなど)
小沢氏は総理でも大臣でもなく、野党の代表。読売さんや産経さん、相変わらず意地悪い報道ばかりしていないで、「西松建設献金事件」で同じような献金を受け取ったと報道されている現役の大臣(二階俊博経済産業相)や元総理大臣(森喜朗氏)にもお話を聞いてみたら。
何が問題かは政治評論家の森田実氏が指摘しているので、ここに転載させてもらう。
(森田氏が指摘している「公平さ」「冷静さ」「社会的責任」などメディア(現在では政治団体のような存在)にはないだろう)


2009.3.21(その1)


森田実の言わねばならぬ【219】


平和・自立・調和の日本をつくるために[219]
大新聞よ、「関係者によると」報道はやめるべきである。検察当局の広報機関化する日本のマスコミ――マスコミは大本営発表を報道するだけだった戦前の日本の報道機関の過ちを繰り返してはならない。


「失敗の最たるものは何一つそれを自覚しないことである」(カーライル)


 西松建設をめぐる最近のマスコミ報道はひどすぎると思う。「関係者によると」という形で、政治家の政治生命を奪うような報道をつづけている。このやり方は卑怯である。「関係者」とは誰かをはっきり言わなければならない。このような形でオールマスコミが同じ報道をすれば、国民はそれを信じてしまう。いや、信じさせられてしまう。国民はマスコミによってマインドコントロールされてしまう。
 さらにひどいのは、「特捜部は把握しているとみられる」という形で特捜部を絶対化する報道をしている。これでは、日本のマスコミは特捜部の手先と同じではないか。
 マスコミは自立的でなければならない。マスコミは特捜部の広報機関になってはならぬ。公正中立な立場を捨てることは、マスコミの自殺行為に等しい。猛省を促したい。
 マスコミは政治家の人権を踏みにじるようなことをしてはならない。われわれ普通の国民と同様、政治家の基本的人権は尊重されるべきである。魔女狩りのようなことをしてはならない。
 マスコミは公平さと冷静さと社会的責任感を失ってはならない。「関係者によると」報道は、マスコミの自殺行為に等しい。改めるべきである。
以上森田実氏のホームページより転載

  
タグ :メディア


2009年03月24日

「ニュースの職人」???鳥越俊太郎

月刊「紙の爆弾」4月号の「月刊高須新聞」で高須基仁氏が再び鳥越俊太郎氏を猛烈に批判。
批判の内容はぜひ「紙の爆弾」4月号を読んでいただきたい。でも、少しだけ「紙の爆弾」4月号から引用させてもらう。
鳥越氏は「どこかで闘病の一部始終をお涙頂戴の本にまとめて出版するんでしょうか。こんなやつのどこに生きる勇気を与えられるのか。本来、ジャーナリズムにはただ一点の特権もないが、鳥越はジャーナリストとして特権を最大限利用している。はっきりいって、ジャーナリストにはほど通い。元新聞記者芸者。みっともない。」

「ニュースの職人」鳥越氏はCMやバラエティ番組に「ジャーナリスト」の肩書きで出ているけど、最近、彼は何かジャーナリズムの仕事した?TV局の外に出て、取材した?イラク取材(ほんの短期間)いったらしいけど、何を見てきたの?イラクに行ったことをCMには使っているのは知っているけど。こんな彼でも大学でジャーナリズムの「教授」だったのだから、大学のレベルもとことん低い。豊田直巳氏のようにイラク戦争が始まるかなり以前からイラクに入り、現地の声(とくに子どもと女性)を伝えてきたジャーナリストとは比較にならない。

以下は以前サイゾーさんに書いた記事。

livedoor ニュースより


“CM好き”ジャーナリスト鳥越俊太郎の歪んだ晩節


2007年09月04日14時44分 / 提供:日刊サイゾー


 あひるのCMで知られるアフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)が、がん保険のウェブCMを展開している。そのCM「生きるストーリー」に登場している一人が、自らを「ニュースの職人」と呼ぶジャーナリストの鳥越俊太郎だ。しかし、不偏不党が大原則であるべきジャーナリストが、一私企業のCMに出ることはタブーとされてきた。それゆえ、鳥越氏の行動には、メディア関係者からも疑問の声が上がってきている。
 鳥越氏がCMに登場するのは、初めてではない。2003~04年と2年連続で日本損害保険協会の「地震保険」のCMにも出演している。だが、その後、損害保険会社の不払い問題が発覚した。社会を揺るがしたこの問題を報道すべき側の人間が、「ジャーナリスト」として損保側のCMに出ていたことは市民のひんしゅくを買った。「鳥越の信頼性で商品が売れる。そのために彼を起用したのだろう」(損保業界関係者)というが、その信頼性を担保しているのは、ジャーナリストという肩書だ。鳥越氏は、その肩書を企業と自分の利益のために使ったというそしりを逃れられないだろう。
「ジャーナリストのCM出演は、個人的にはよくないことだと思う。もし、その企業が問題を起こした場合、出演したジャーナリストだけでなく、ジャーナリズムそのものにも傷をつけるからだ」と指摘するのは、ビデオジャーナリストの神保哲生氏だ。同志社大学社会学部メディア学科の浅野健一教授も、「言語道断。文明国で、現役のジャーナリストがコマーシャルに出るなんてあり得ないこと」だと強調する。
 鳥越氏自身は、自らのCM出演をどうとらえているのか? 筆者が2年ほど前に電話で直撃した際には、「そんなことに、いちいち答えなくちゃいけないの?」と不機嫌そうに回答を拒否。今回、あらためて電話で聞くと、地震もがんも彼自身が経験しており、「保険には公共性があり、世に広まることに意味があると思うので出演した」と答えつつも、途中で「電話が入った」と言い、一方的に切られてしまった。
「公共性があるから出る」。しかし、これは詭弁だ。鳥越氏は2年前には、毎日新聞のテレビCM、最近は英会話学校GabaのウェブCMにも出ている。さらに鳥越氏は、昨年まで関西大学社会学部の客員教授としてジャーナリズムを教えていた。しかも、鳥越氏を広告塔に使うかのように、同大学は彼の写真を大きく学部のホームページに掲載していたのだ。筆者が「CMに出るようなジャーナリストを教授に迎えることに対して問題視する声もあるが?」と同大学に問うと、「コメントは控える」としながらも、早々と写真だけは消去するという不可解な対応を取られたことがある。
 そもそも鳥越氏は、いつジャーナリストの仕事をしているのだろうか? コメンテーターであることは間違いないだろうが、あるメディア関係者は「彼はジャーナリストでなく芸能人だ」と笑い飛ばす。
 メディアの倫理的問題を論じる著書も出している鳥越氏は、アフラックのCMの中で「イラクに行ったこともない人が、いろんなことを知らないままにしゃべっている。それはおかしい」と、自分のイラク取材歴を称賛するような口ぶりだ。しかし、彼がイラクに滞在したのは、たった10日間余り。このような取材は「パラシュート・ジャーナリズム」と呼ばれ、何か起きたときだけ一時的に派遣され、表面的なことだけを報道するという昨今のジャーナリズムの問題のひとつといわれている。
 鳥越氏は、82年11月から1年間ペンシルベニア州の新聞社でインターンを経験、それが「結果的に記者としての成長につながった」と語っている。ところが、そう語っているのが、GabaのウェブCMの中というから冗談のようだ。「記者としての成長」という言葉が空虚に響くではないか。鳥越氏の過去の実績まで否定する気はないが、コメンテーターとCM仕事が中心の今となっては、ジャーナリストの看板を下ろすのが、晩節を汚さぬ最善策といえるのではないだろうか。
(神林毅彦)



  
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2009年03月23日

産経新聞・河合龍司記者「記憶なし」 性教育裁判

かなり遅くなったが、大変興味深い記事なので、下記のJanJanの記事を転載。

産経記者「記憶なし」連発 養護学校の性教育裁判

ひらのゆきこ2008/02/28

七生養護学校で2003年7月におきた、都議会議員らによる学校現場の「視察」。教育現場への不当な介入ではなかったのか、産経新聞の報道は適切だったのか、その後、七生養護学校の性教育は大きく変わることとなった。「こころとからだの学習」の是非をめぐる裁判が、東京地裁で続いている。

 2月25日、東京地裁で七生養護学校「『ここから』裁判」の口頭弁論がありました。
(前回傍聴記)

七生養護学校「『ここから』裁判」について
 2003年7月2日の都議会の一般質問で、「不適切な性教育」と取り上げられたことをキッカケに、東京都日野市の都立七生養護学校で行っていた「こころとからだの学習」という性教育が破壊されたとして、七生養護学校の当時の保護者や元教職員らが東京都、都教委、3名の都議、産経新聞社を訴えました。

 「『ここから』裁判」は、争点整理を終了し、現在、証人調べに入っています。これまで元七生養護学校教員2名に続き、都教委と元校長らの証人尋問が行われました。3回目にあたる今回は、都議2名と産経新聞記者への証人尋問が行われました。

都議2名と産経新聞記者の証人尋問
 この日は傍聴券96枚に対し、150名以上の傍聴希望者がいたため、パソコンによる抽選となりました。残念ながら筆者は抽選に洩れてしまったのですが、「『ここから』裁判」を支援している関係者の方のご厚意で裁判を傍聴することができました。

 法廷に入ると、原告、被告側双方が席につき、証人3名も証人席の前に座っていました。抽選に当たった人たちが傍聴席を埋め尽くす中、矢尾渉裁判長と陪席裁判官2名が入廷し、裁判がはじまりました。まず、証人3人が宣誓を行い、田代ひろし都議、土屋たかゆき都議、河合龍司産経新聞記者の順番で証人尋問が行われました。

田代博嗣都議の証人尋問
 田代博嗣都議に対する被告代理人の主尋問は、性教育に対する田代都議の考え方や、七生養護学校を視察したときのことなどについての質問から始まりました。

 性教育についての持論を問われ、田代都議は「3つある」と答え、「1つ目は知識をもつこと、2つ目は意義(生殖)をもつこと、3つ目は道徳的規範をもつこと」と自らの持論を披露しました。

 また、医者(田代都議は医師)として患者さんと接する中で、子どもを授かることができない人が多くいることに言及しながら、「性行為の中心は種の継続であり、中心になる性行為に知識と道徳的規範が求められる」などと述べ、「この3つのうちの1つだけを教えるのはバランスがとれない、3つ一緒にやることが大事」と強調しました。

 七生養護学校を視察したときのことについては、保健室に入る前に校長から説明を受け、職員の規律が乱れていることを訴えられたと語りました。そのあと保健室に行き、手分けして資料となる教材などを集めようとすると、「私物が入っています」などと教員が非協力的な態度を見せたことに言及し、「(我々は)都民の代表としてきており、養護学校の正常化をはかる責務がある。通告をしていてきているのだから、協力をするのは当たり前」と主張しました。

 また、書類ケースを持ち出すとき、「国税と同じ」と言ったことについては、国税調査と同じように、我々は国民の代表としてきており、調査に必要なものを持っていくのは当然であり、事前に通告をして(視察の)目的がわかっているのだから、私物などは片付けておくべきだ、と答えました。

 そのとき、相手を威嚇するような大きな声を出したのか、という質問に対しては、「出していません」と否定しました。(威圧と感じるかどうかは)受け止める側の感覚であり、やましいことがないなら求めに応じて素直に渡すべだと語りました。保健室にいた教員2人が非協力的だというのが第一印象だったので、たしなめる言い方をして、協力を促した、と語りました。

権限不明な「国税と同じ」、教材の持ち去り
 次に、原告代理人による反対尋問がありました。

 都教委らとともに視察に行った理由について、田代都議は「我々は立法府なので、行政府をチェックする立場にあり、この日の視察に同行したのは、行政がちゃんと指導をしているかチェックするためだった」などと答えました。国税という言葉を使ったのは、私物が入っていることを理由に教員が非協力的な態度を見せたので、例として挙げた、などと答えました。

 都教委に現場の仕事を直接指導することは許されているのか、という質問については、田代都議は明快な答弁を示すことができていないとの感想を持ちました。また、知的障害児の性教育は、視覚に訴えることが必要だとする意見があり、アメリカなどでも問題になっているが、視覚に訴える必要性があることを知っているか、という質問に対し、田代都議は「知っている」と答えました。

 どのような権限に基いて「国税と同じ」と言ったのか、また、どのような権限に基づいて教材を持って行ったのか、という質問に対しては、「質問の意味がわからない」と述べ、田代都議が上下関係について言及したことを指摘すると、「教育庁と現場は上下関係にあり、上は下の責任をとらなければならない。現場は任務の遂行をしなければならない」と答えました。「行政府が学校現場に介入するのは、教育基本法10条に反するのではないか」と問い質すと、田代都議は、「だから我々はその行政をチェックしなければならない」と答えました。

 また、都の文教委員会でこの問題についてほかの議員たちから批判が出たのではないか、と尋ねると、「よく覚えていない」と答えました。さらに重ねて「教材を持って行ったことも含め、いろんな批判が出たのではないか」と聞くと、「少数の意見があったかもしれないが、多くは賛成してくれた」と答えました。

土屋敬之都議の証人尋問
 次に、土屋敬之都議についての証人尋問がありました。

 土屋都議が都議会の一般質問で「不適切な性教育」と発言した2日後、七生養護学校への視察が行われていることから、主尋問は、土屋都議が性教育の問題に関心を持つようになった経緯についての質問から始まりました。

 土屋都議によると、ある日、性教育の情報誌「セクシュアリティ」を読み、この雑誌のバックナンバーも全部読んで、性教育の問題について関心をもつようになったそうです。七生養護学校を視察したのは、たんに古賀都議の選挙区であったからで、もし自分の選挙区に同様の学校があればそちらを視察したかもしれない、と答えました。視察はこの問題に関心を持っている議員らと一緒に行ったが、マスコミの中で産経新聞だけに声をかけたのは、教育の特集のページを組むなど、産経新聞が教育に熱心であったから、と答えました。

 保健室に行く前に校長室で校長から説明を聞いたとき、校長が「着任して驚いた」「教員のやる気がない」などと語っていたと話しました。保健室にいた教員に、体の重要な部分の名称を教えるなら性器の名称だけでなく、なぜ歯や耳やほかの部位については教えないのか、と聞いたとき、(相手が泣き出すほどの威圧的な)言い方をしたのか、と問われると、土屋都議は、「うちの家内なんか、水戸黄門を見て泣くことがありますよ」と述べ、「彼女(教員)が泣いたのは答えに窮し、それについて聞いたので口惜しくて泣いたんですよ」と答えました。

 (女性教員を)泣かせるような大声を出したのか、という質問に対しては、「僕は女性尊重主義」と否定しました。教材を展示した理由については、「こういう実態を広く知ってもらうため」と述べ、教材は我々が押収したのではなく、都教委の判断であり、都教委に頼んで借りて展示した、と答えました。また、視察のあとに再度七生養護学校を訪れた理由を問われ、校長が涙目をしていたので、もっとなにかあるのではないかと思い、話を聞きに行ったと答えました。

原告代理人を怒鳴る一幕も
 次に、原告代理人による反対尋問がありました。

 土屋都議の陳述書をもとに反対尋問が始まりました。原告代理人が、陳述書にある「ある日」の「ある日」というのはいつか、と聞くと、土屋議員は「平成15年のことだよ。あなたは覚えているの?」と逆に問い返しました。原告代理人が「質問に答えてください」と言うと、土屋都議が質問の答えではなく説明をしようとしたので、「イエスかノーで答えてください」と原告代理人が答えを促すと、土屋都議が突然大きな声で原告代理人を恫喝するような発言をしました。

 傍聴席にいる筆者も自分が怒鳴られているような気がして、一瞬、ドキッとしました。大変、威圧感のある声でした。土屋都議は大きな声で教員を問い詰めるような言い方はしていない、と答えていましたが、もしそのときもこのような声で言われたのだとしたら、相当に威圧されるものを感じ、萎縮したり、恐怖心を感じたりするのではないか、との感想を持ちました。

 次に、都議会での質問は事前に誰かと協議をしたのか、と尋ねると、「私一人でやった」と答えました。また、教材を運び出すとき、都議から求められ、教頭が次々に運び出したと校長が証言していることに言及し、土屋都議の供述と食い違いがあることを指摘しました。所定の場所に置いていた人形を出して服を脱がせる場面は印象的だと思うが、そのときのことを覚えているか、と聞くと「覚えていない」と答えました。

 視察の翌日、産経新聞に載った記事について、服をぬがせて下半身を露出した写真が載っているが、問題を感じないか、と質問すると、土屋都議は「まったく感じない」と答え、この写真を見た読者に(七生養護学校で行っている性教育が)正確に伝わると思うか、という質問については、「人それぞれ」と答えました。

 「からだうた」についてなにが問題かと尋ねると、土屋都議は「性器の名称は人前で言うことはない、マナーの問題」と答え、性器の名称を小1から教えることは問題があるとの認識を示しました。

 東京都が1995(平成7)年に性器の名称を小学生に教えるべきだとした学習指導要領を出したことを知っているかと問われると、「知っているが、それは間違い」と断じ、「発達段階の子に性行為について教えるのは許されない」との意見を述べました。ではいつならいいのか、高3ではどうか、学習指導要領に書いていないことについても指導の必要性があるとマニュアルには書いてあるが知っているかと尋ねると、「知っている」と答えました。

 保護者の人たちが(性教育をしてもらって)助かっていると言っていることや、親や地域の人がどのような思いをしているかという質問については、「答えられない。答える気がしない」と答弁をしました。

 土屋都議は、反対尋問のとき、「質問(のしかた)が悪いんだよ」と原告代理人を批判するなど、感情的とも思えるような発言をすることが何度かありました。東京弁護士会から都教委に対し、没収した教材の返還と不当な介入をしてはならないとする「警告」を受けていることについて知っているかと訊ねると、「ろくなものじゃないね」と答えるなど、思わず傍聴席から失笑が洩れる場面もありました。

河合龍司・産経新聞記者の証人尋問
 次に、河合龍司・産経新聞記者についての証人尋問がありました。

 七生養護学校の視察に同行し、翌日の産経新聞に「過激性教育」「まるでアダルトショップ」などとする記事を書いた河合龍司記者に対する主尋問は、視察に同行した経緯と、校長から説明を受けたときのことや、保健室での教員らの対応などについての質問でした。

 河合記者は、取材はデスクの指示であったこと、土屋都議以外ほかの議員らとは面識がなかったこと、視察に同行した印象として「非常に行き過ぎた性教育であると思った」などと感想を述べました。また、性器つき人形を使って障害を持った子に性教育を行うことは学習指導要領に書いていない、と述べました。具体的にどういうことかと問われると、性器の具体的名称を指導していること、と答えました。

 河合記者に対する反対尋問では、主として保健室に入ったとき教材がどのような状況にあったかということや、人形の服を脱がせたのは誰かということでした、河合記者はいずれの質問に対しても「記憶にない」という答えを繰り返しました。

 しかし、河合記者は視察団と一緒に保健室に入ったと供述しており、人形は最初服を着ていたのだから、服を脱がせた写真を撮っているということは、だれかが服を脱がせたのであり、人形の服を脱がせるという印象的な場面をその場にいた河合記者が覚えていないということは考えづらいといった趣旨の質問を繰り返す原告代理人に対し、河合記者は「覚えていない」との答弁を繰り返しました。

 また、記事が校長の発言のみを伝えていることに対し、ほかの教員や保護者には取材はしなかったのかと問うと、「しなかった」と答えました。利害が対立する(校長は着任したばかりで、七生養護学校の「こころとからだの学習」などについて現場の教員らと意見の違いがあった)場合、一方の意見だけでなく、双方の主張を聞くのではないか、と質問すると、河合記者は、「学校の責任者は校長なので、校長だけに聞けばいいと思った」と答えました。

 原告代理人は、校長が産経新聞の記事を読んで校長自身が(記事は)不正確である、と言っていることを指摘しながら、校長に直接取材をしたのか、と聞くと、河合記者は「詳しくは覚えていないが、校長に個別に話を聞いたのではなく、校長の説明を聞いて書いた内容」と答えました。校長にさえ取材をしないで記事を書くのは問題があるのではないか、と聞くと、河合記者は、校長から話を聞いて書いたのだから問題はない、との認識を示しました。

 (産経新聞に載った)写真を見て、この教材が性被害から身を守るためのものであると読者は思うか、という質問に対し、「受け止める側の問題」と答えました。この人形は(知的障害を持っている子どもたちが)性被害に遭わないための教材として使われていたことを知っていたか、と聞くと、「知っていた」と答えました。

 この記事のあと、七生養護学校の保護者から抗議の電話が産経新聞にあったことを知っているか、と聞くと、「知っている」と答え、内容を知っているか、と聞くと、「この記事はひどいんじゃないかという内容」と答えました。保護者の人たちの発言が考慮されておらず、親をバカにした記事であり、親からも聞き取りをしてほしい、自分たちにも取材をしてほしいという気持ちが保護者の側にあったことについてどう思うか、という質問に対し、河合記者は「そうは思わない。校長に取材した。プラスアルファとして保護者に取材をすればよかったかもしれない」と答えました。

 なにも知らないでこの記事を読んだ読者は不安になるのではないか、子どもを七生に通わせている保護者に対し、公正を欠いたとは思わないか、という質問に対し、河合記者は「思わない」と答えました。

 さらに、原告代理人が、知的障害を持つ子の親は(子どもたちの)性の問題で悩んでおり、障害のある人たちや、現場で悩みながらやっていることを取材したか、と問うと、河合記者は「しない」と答え、現場の先生に話を聞かず、誤解を受けることになりかねない記事を書くことに対し、新聞記者としての理念に対する考慮はなかったのか、と聞くと、「思わない」と答えました。

「過激な性教育」の根拠は不明
 河合記者は、この教材をどう使っているのか教員に聞こうと思わなかったのか、という質問に対し、「都教委が視察に行ったのを取材し、記事を書いた」と答えました。「このような過激な性教育」とあるが、あなたはどのようなことを根拠にそう書いているのか。具体的に何%といった数値はあるのか、と問うと、「わからない」と答えました。畳み掛けるように質問をする原告代理人に対し、「記憶にない」という答弁を繰り返していた河合記者ですが、記者として記憶にないのか、と問われると、「最初、人形は服を着ていた」と答えるなど、そのときの状況を少しずつ語りはじめました。

 さらに信用性を争うためとして、原告代理人が当日の保健室の写真数枚を河合記者に見せ、人形は14時9分には服を着ていて、14時59分には脱がされている、この写真の右側に写っているのは誰か、と問うと、「土屋さん」と答え、さらに14時53分と14時57分に撮影した写真を示し、これをあなたは見ていないというのか、と問い質すと、河合記者は「当時は見ていたんでしょ。5年経って具体的には(覚えていない)……」と返答に窮し、投げやりとも思えるような答弁をしました。

 最後に、写真を撮るとき(人形の)服を脱がせる理由について質問すると、河合記者は「ここで下半身を露出させて使うということなので、(人形の下半身を露出しないと)読者に伝わらない」と答えました。過激な性教育が伝わらないということか、と聞くと、「はい」と答えました。

 最後に質問に立った原告代理人が、視察があった日の保健室の写真を示しながら、あなたはこれを見ていないと言うのか、と問い質すと、さすがの河合記者も「当時は見ていたんでしょ」と苦しい答弁をする一幕のやり取りは大変迫力があり、メモを取っている筆者も思わず身を乗り出して聞き入りました。

感想など
 原告代理人の反対尋問は予定時間を超過するほど、熱の入ったものでした。証人3人に対し、波状攻撃のように矢継ぎ早に質問をしていったのですが、いずれも核心を突いた鋭い質問で、最初から最後まで法廷には緊張感が漲っていました。

 傍聴席には双方の支援者が座っており(数は原告の支援者の数のほうが圧倒的に多い)、原告代理人が質問しているとき、資料を出すのに少し手間取っていると、傍聴席から「早くしろよ」というヤジがあったり、不規則発言などもあり、裁判長から「傍聴席は静かにしてください」と注意を受けていました。また、被告席には、田代都議や土屋都議とともに訴えられている古賀俊昭都議の姿もありました。

 裁判のあと、弁護士会館で報告集会がありました。

 この日は「金崎裁判」(※)の判決がありました。「『ここから』裁判」が始まる前に「勝訴」の判決を知った支援者のみなさんは、満面笑顔で喜びを分かち合っていました。※ 七生養護学校の校長を、1998年から2002年に務めた金崎満さんは、「そこで行われていた教育が不適切である」として、03年9月に停職一ヵ月の懲戒処分と校長降格の分限処分を受けた(当時は、都立板橋養護学校校長)。その処分取消請求の裁判。

2009年3月13日
「ここから裁判」原告勝訴

以上JanJanより転載。
  


Posted by take at 23:49Comments(0)ニュース 

2009年03月22日

ユダヤ系人権団体、田原総一朗に対する非難撤回

14日のブログに掲載した件に関して。
3月8日放送のテレビ朝日「サンデー・プロジェクト」で司会の田原総一朗氏が国内の政治スキャンダルをアメリカとユダヤ人のせいにしたとユダヤ系人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターが非難の声明を出した件で、テレビ朝日は「ユダヤ」ではなく「有罪」と言ったと否定していた。田原氏は次のように言っているように聞こえたが、「歯が悪い」ので「ユダヤ」のように聞こえたのではないかというTV朝日側の説明だという、サイモン・ウィーゼンタール・センターによると。
「ただ、繰り返し言いたい。田中さんも、結局はやられた、ユダヤに。小沢さんもそうやっぱりやられる…」
この発言はネット上のyoutubeで確認することができるが、ぼくのようにDVDで見た方が分かりやすい。  
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Posted by take at 18:02Comments(0)ニュース 

2009年03月22日

「慢性疲労は首で治せる!」 松井孝嘉 

 「慢性疲労は首で治せる!」松井孝嘉 医学博士 東京脳神経センター理事長 (角川書店)

オビ「慢性疲労、うつ、頭痛、めまい、微熱、ドライアイ、冷え、パニック・・・・・」
「新発見、原因は首にあった!」

第一章「その『不調』の原因は首にあった!」
1、「原因不明の病気は、実は、<頸性神経筋症候群>であった」
3、「『慢性疲労症候群』、めまい、うつは『首の異常』を疑え!」
その他...
うつの大半が<頸性神経筋症候群>だと松井先生は言う。自殺者を少なくしたいと長年取り組んでいるのだそうだ。

以前から気になっていたことがけっこう指摘されている。やはり、パソコンは気をつけなくてはいけない。
ノートパソコンではなく、デスクがいいのかなといつも思っていた。疲れがまったく違う。でも、ずっとノートを使っている。今度買うときはデスクにしようと思う。ノートとデスクとでは首への負担がかなり違うという。「首の角度」というのが問題になっているそうだ。
パソコンを使っている方、休憩をこまめにとることも大切だと松井先生は指摘している。15分間に1回。

松井先生は最近下記の書も出版。
「[図解]どこに行っても治らなかった病気が首で治せる」松井孝嘉 (PHP研究所)  
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Posted by take at 11:22Comments(0)読書

2009年03月21日

「自衛隊員が死んでいく」 三宅勝久

 
ジャーナリスト三宅勝久氏の著「自衛隊員が死んでいく」(花伝社)
自衛隊に入るといろいろな免許が取れる、なんて言っていた時代と大きく変わった。海外派遣は当然のようになってきた。それが良いとか悪いとかの議論はさておき、海外に出るようになったことで、自衛隊員へのプレッシャーは想像を超えるものだろう。「テロ特措法」「イラク特措法」に基づき派遣された自衛隊員の総数19700人、そのうちの自殺者は16名です。この自殺率81.2人(10万人当たりの自殺者数)は日本の自殺率24人と単純比較できないが、相当高い数字だと社民党の照屋寛徳議員も指摘している。
「年間100人を越す自殺・不明者」「防衛官僚・腐敗の陰で自衛隊に何が起きているのか?」と三宅氏の著書のオビの一部には書かれています。三宅氏によると、自衛隊員による犯罪は800を上回っているという(2007年)。「年間予算4兆7000億円、職員数26万人。日本最大の役所が抱える底知れぬ病理の一端なりとも照らし出せれば幸いである」と三宅氏は本書のプロローグに書いている。
三宅氏は時間をかけて丁寧に調べていると思う。現場でいろいろな声を聞いている。
三宅氏のようなジャーナリストを支援することが大切なことだと思う。
下記のような事件に関してはほとんど報道はない。詳しくは三宅氏の著書に書いてある。

女性自衛官の人権裁判を支援する会

30日(月)にシンポジウムがおこなわれるようだ。以下NPJからの転載。
3/30(月) 18:00~20:00 (開場 17:30)
憲法シンポジウム

自衛隊はどこへ行く
~「軍隊」としての自衛隊に『法の支配』は存在するか?~
パ ネリ ス ト
    ●水島 朝穂 氏 (早稲田大学法学学術院教授)
    ●半田 滋 氏 (東京新聞編集委員)
    ●三宅 勝久 氏 (ジャーナリスト・ 『自衛隊員が死んでいく』 著者)
    ●佐藤 博文 氏 (札幌弁護士会会員)
 コーディネーター
    ●井堀 哲 (第二東京弁護士会憲法問題検討委員会委員)
 場 所:弁護士会館 3階 301ABC会議室 
 主 催/第二東京弁護士会 共 催/東京弁護士会・第一東京弁護士会
 問合せ先/第二東京弁護士会 人権課・森 (絵)
 TEL 03-3581-2257 FAX 03-3581-3337

  


Posted by take at 15:44Comments(2)読書

2009年03月20日

最悪のシナリオ? 「野口教授の悲観論」 半澤健市

アメリカのテレビや新聞は、連日、朝から晩まで、世界不況、米国内の不況に関するニュースばかり。
また、どのようにこの不況を乗り越えるかという議論ばかり。日本はWBCと藤原・陣内の離婚に関する議論ばかり。
多くのブロガーも日本のメディアを引用しているので、当然のように、その話題にふれる。繰り返し言うが、海外からは日本は先進国のなかでも最も深刻な状況だと見られている。
2009年3月10日ワシントンポスト紙
"Japan Leads Rich Nations Downward" 

リベラル21に掲載された半澤健市さんの「野口悠紀雄氏の日本経済論」を下記に転載する。
―日本は未曾有の不況に直面か―

半澤健市 (元金融機関勤務)
 私は本ブログで、約1年前に「アメリカ経済最悪のシナリオ ルービニ教授の悲観論」(上・下)を書いた。ニューヨーク市立大のヌリエル・ルービニ教授の経済見通しを紹介したのである。
 08年2月28日 http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-264.html
 08年3月 1日 http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-266.html
当時、少数意見だったルービニの見通しは的確であった。彼の「金融と経済の破局への12のステップ」と「FRBが危機を救えない8つの理由」はことごとく現実となった。ルービニ説は金子勝慶大教授の文章などに取り上げられてよく知られるようになった。当のルービニ教授は依然として悲観論者であり、経済ジャーナリズムの「売れっ子」となっている。

《金融問題ではなく「マクロ経済」の問題》
 ここに紹介するのは野口悠紀雄早大大学院教授の日本経済論である。
大蔵官僚からアカデミズムに転進した野口は、現代日本経済の実証分析で優れた業績を残した。「超・整理法」などの実用書でも知られる。資料による実証と明解な論理で進める文章は歯切れが良く読みやすい。

ところで今次の世界不況はアメリカ発の金融不況だとするのが世間の常識だ。麻生太郎首相は不況脱出できるであろう3年後に消費税増税をしたいといった。与謝野馨経済財政担当相(当時)は08年9月のリーマン・ショックについて日本は「ハチに刺された程度」だといった。日本の金融業界はサブプライム関連投資は少ないから損失は軽微であるといった。日本の製造業者は08年後半から実体経済がこんなに悪くなるとは誰も考えていなかった。いずれも、根本は金融問題であるという理解であり、アメリカが加害者で日本は被害者だという認識である。

野口悠紀雄の見立てはちがうのである。その要点は次のとおりである。
第一に、今回の世界不況は金融危機に限定されない「マクロ経済」問題である。
マクロ問題とは何か。それはアメリカ経済が、家計も企業も国家も、借金で成立している。そのカネを中国、日本、産油国が供給している。この構造に起因するマクロ経済問題であるということだ。(09年2月14日の拙稿に書いた下村治にも共通している)http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-660.html
第二に、従って、これは当事者たる日本の経済問題である。日本株価の下落率がアメリカより大きいことからも分かるように、今後の景気後退は日本のほうがアメリカより深刻になるであろう。
第三に、本質は構造問題であるから現在の日本政府による小手先の景気対策や金融緩和は無意味である。日本の経済構造の大改革が必要である。

《日本共犯論と貿易立国モデルの崩壊》
 90年代以降、日本はデフレ脱却政策と称して異常な低金利政策を継続した。この円安政策は金利差を利用する「円キャリ取引(トレード)」を誘発する。このカネが回りまわってアメリカの住宅バブルを導いたであろうという。これが日本共犯論である。円安政策は「円安バブル」となって日本企業―特に輸出企業―の収益向上につながった。5年を超える日本経済の回復は、円安バブルが支えた輸出企業の収益向上の帰結である。この構造が崩壊することで輸出企業の収益に依存していた国民経済成長の構造も崩壊する。野口はこういう。(▼は野口著『世界経済危機 日本の罪と罰』から引用、以下同じ)
▼アメリカの赤字縮小は、黒字国の黒字縮小を意味する。ところが、産油国に対する赤字が簡単に縮小するとは思えない。とたがって、しわ寄せは、日本と中国に集中するだろう。日本の貿易黒字縮小は不可避のものだ。(略)仮に〇七年に記録した純輸出がゼロになればGDPの五%程度の影響が及ぶことになる。これは、けっしてあり得ないことではない。

実際に、08年第4四半期に輸出は急減し、その結果GDPは年率12.1%も低下した。壊滅的である。つまり我々が最近見ているのは、野口の分析が的中しているという事実である。
野口は最近、GDPの落ちこみは5%ではなく10%に及ぶかも知れないと言い始めている。その縮小は一挙にくるのではない。3年ないし5年という日時を要するであろう。仮に10%が3年なら年率3%、5年なら年率2%のGDPが失われる。これが現実となれば日本経済は未曾有の不況に直面する。そして日本経済は制御不能になるかも知れないといっている。

「貿易立国モデル崩壊」論は、経済界の常識とは異なるラジカルな見解である。
しかし野口は、日本経済は輸出依存体質から脱却するために産業構造の大転換が必要だという。これは小泉・竹中路線とは異なる「構造改革論」である。
そういう考えの基本に日本の経済政策が生活者よりも生産者優先の方針を長くとり続けていることへの批判がある。また自国通貨高が国益にかなうという認識がある。言及は国民の意識に及ぶ。
野口は次のようにいう。
▼円高は容認されず、円安への政策が取られた。消費者の立場から見て望ましい変化が生じたときに、それを打ち消すような圧力が生産者(とくに輸出産業)から生じるのが、日本の経済政策の基本的なバイアスである。こうしたバイアスは、最近時点に始まったものではない。日本の経済論議や経済政策論議は、高度成長期以来一貫して、消費者無視のバイアスを持っていた。
▼消費者の考えが経済政策に反映するような成熟国であれば、自国通貨安に批判が起こり、自国通貨が強くなって輸出産業の競争力は落ち、経常黒字は縮小するはずだ。その半面で、消費者は外国からの安い輸入品によって、豊かな生活を実現できる。しかし、日本や中国のように生活者の意識が低い国では、そうはならないだろう。

《窮状を打開する道はあるのか》
 貿易立国政策が破綻したとすれば日本はどんな産業構造に転換すべきなのか。野口自身も具体的なプランを全面的には提示していない。今後、試行錯誤によって見出していくしかないといっている。著作のなかに次の叙述がある。
▼為替レートが六〇円台となっても収益が上がる産業構造をつくること、資本面で国際的に開かれた国とすること、の二つが重要だ。モノの輸出でなく、カネの運用によって国を支えられる時代においては、ファイナンスの手法を習得し、対外資産の収益率を高めることが重要な国民的課題となる。そのためにも重要なのは、高度な金融専門家の養成だ。これは、日本の高等教育のなかで最も立ち遅れた分野である。(略)このように言えば、「アメリカもイギリスも、地道なものづくりを忘れて、金融資本主義の道に突き進んだ。そして破綻した、いまさらそれを真似せよというのか」と言われるかもしれない。しかし、こうした意見は誤りである。今回の危機は、ファイナンス理論が使われたために起こったことではなく、使われなかったために起こったことだからだ(特に、リスク資産の評価が適切に行われなかったことが問題だ)。「貯蓄から投資へ」は、家計に対して要請されることではなく、プロの機関投資家に対して要請されることである。

ここにあるのは市場開放論と金融市場を主戦場とする産業政策論である。
金融界に40年席をおいた私は、金融は実体経済をサポートするもので経済の主役だと思ったことはない。貿易収支と外貨準備のカベが、戦後日本経済にとって如何に「生命線的」であったかを知る私は、野口の分析と論理は俄に信じがたいことも事実である。
しかしユニークな日本経済論は、「何でもあり」の経済論議の素材として貴重だと思う。「日本経済最悪のシナリオ 野口悠紀雄教授の悲観論」は、ルービニ教授の昨年の予想と同じ結末を迎えるであろうか。

*本稿の資料は野口悠紀雄著『世界経済危機 日本の罪と罰』(ダイヤモンド社、08年12月刊)、同「GDP10%減 大津波が来る」、月刊誌『文藝春秋』(09年3月号)、野口氏のテレビ出演での発言です。

以上リベラル21より転載  
タグ :経済


Posted by take at 16:16Comments(0)ニュース 

2009年03月20日

素っ裸で雪山登山

3月17日のニューヨークタイムス(The New York Times)に出ていた、裸で登山する人に関するスイス、アッペンツェルからの記事。写真は裸の二人が雪山(スイス、アッペンツェル)を登山している様子(ほんとう何もつけていないんだ)。
In Thin Air of the Alps, Swiss Secrecy is Vanishing

なんでわざわざ雪山を何も着けないで登っているのだろう。「精神的な自由」と「身体的な自由」を感じることができるからだと裸のハイカーがインタビューに答えている。最近、裸で登山する人が増えてきているらしい。

「国際ヌーディスト」(international nudist)はホームページもあって、そのなかに裸のハイカーを募っているグループがある。
このホームページは"naturalist"and"nudist" (「自然主義者」と「ヌーディスト」)のためのホームページだという。
いろいろな国の旗がたっているけど、残念ながら日本の国旗は見えない。つまり、日本人のメンバーはいないということか。
そういえば、以前、TBSの記者がヌーディスト・ビーチから「報道」していたっけ。彼は自分も裸になって海に入っていった。何を伝えたいのか、ただあきれるばかりだった。  
タグ :ニュース


Posted by take at 06:27Comments(2)異文化

2009年03月19日

「どこの馬の骨か分からない」と言われ

以前、共同通信の記者に「どこの馬の骨か分からない」のだから、日本のメディアで職を探すな、くらいのことを言われた。この「馬の骨」をどこかで使おうと考えていた。ちょうどいい、このブログのタイトルにしようと決めた。

日本ではこんなことを言われてしまうということを知った。しかも、ジャーナリストから。

アメリカのジャーナリストでこんなひどいこと言う人に会ったことない。

ブログを始めて2カ月間、タイトルを変更した。以前のタイトルは何を言っているのか、何が言いたいのか分からないと言われたし、自分でも一時的なものにしておいた。当初はもっと英語学習の情報や勉強方法に関して書いていこうと思っていたが、始めてみると結構変わるものだ。ちょっと予想外。読者の反応に合わせて英語よりも雇用に関して書いたものが増えた。  
タグ :ブログ


Posted by take at 18:42Comments(0)なぜ「馬の骨」?

2009年03月19日

雇用のミスマッチ(9)「コネばっかり」

知り合いの息子が大学を卒業し大手企業に就職した。「あの大学からは無理でしょう」などと周囲の人が囁くように、その知り合いの知り合いAの紹介で入社できた。いわゆるコネ。大学で就職が決まるわけではないと思うが、現実、おおいに関係ある(企業の人々も認めている「当然ですよねー」と)。また、その知り合いAの娘も仕事がきつくてやめた。南の島で働こうと考えていたが、Aの紹介でうまく転職できた。
景気が悪いから「コネばっかり」と、コネで入ったまた別の知り合いは言う。
友人に話すと、そんなこと言ったら、メディアはコネばっかりだ、と。
「テレビ局なんかコネばかり」と以前、叔父(元アナウンサー)が言っていた。
そう言えば、芸能人、元野球選手、元大臣の子どもなどがテレビ局で働いている。
今まで知り合った新聞記者も父親がそうだった、という者が多い。
こんなことを言うとぼくが羨ましがっているなどと言う人もいるのだが、そう言うこと自体、彼らと価値観が一緒だと、勘違いされているというか、自分たちの価値を勝手に押し付けてくるというか。
というか、ぼくもその叔父に頼むことができたのに(就職を)、と思わない?  


Posted by take at 18:19Comments(0)雇用