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2009年08月06日

「その耐えがたい軽さ」水島朝穂教授の「直言」から 

どうしても紹介したい文章があり、転載をさせてもらいます。
私が取材でお世話になる早稲田大学法学部の水島朝穂教授の7月27日「直言」の抜粋です。
水島先生のホームページからも読むことができます。文章が少し長いと思われる方もいらっしゃると思いますが、たいへん多くのことを学ぶことができます。
先月、麻生氏はイタリアのラクイラで行われたサミットに出席しました。私がインタビューした方ほとんどが麻生氏はサミットに行きたいがために解散を延ばしたと話していました。昨年の秋の時点で、「解散はサミット以降」と主張していた方もいました。サミットに出席した麻生氏に関する水島先生のコメントと先生が集めた写真はとても重要だと思います。(『日刊ゲンダイ』『読売』『週刊文春』など)のところをクリックするとその写真を見ることができます。麻生氏のような方をサミットに送ったり、中川氏のような方を金融危機のさなかの国際会議に送ったり、世界からは、日本という国はかなりいい味出していると思われているのかなぁ。

衆議院解散、その耐えがたい軽さ 
2009727

7
21日午後1時。衆議院が解散された。「○○解散」というネーミングの数は多く、どれもが「言いえて妙」である。身内からも、「やけっぱち解散」(鳩山邦夫・前総務相)、「後がない解散」(伊吹文明・元幹事長)、「最後の解散」(加藤紘一・同)等々の「自虐的」ネーミングが続出し、祖父・吉田茂の「バカヤロー解散」[1953] をもじって、「バカヤローの解散」(「バカタロー解散」!)というものまであった。国権の最高機関たる国会の、その第一院の解散という「極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為」(最高裁196068日「苫米地判決」)にもかかわらず、都議選という地方選挙に絡ませたり、あれやこれやいって先延ばしにしてきた。解散時期の選択から、投票日の設定に至るまで、これほど徹底して、連立与党議員の首がつながるための、いわば「自己保存」の観点からのみ行われた解散はないのではないか。一時は、「ナガサキの日」である89日を投票日にすることまで話題になった。「日本人として」(この言葉は好きではないが)恥ずかしくないのか、といいたくもなった。その意味では、田中康夫(新党日本代表)のいう「最後まで国民不在の『ミーイズム』解散」というのがあたっている。

ここ数カ月、いつ解散なのかと新聞各紙は連日のように書き立てた。夕刊紙の
1面写真は毎晩のように、麻生太郎の顔。いい加減うんざりというところだが、たまった切り抜きの一部がこれである(『日刊ゲンダイ』『読売』『週刊文春』など)。このうち、真ん中下の写真、イタリア中部ラクイラで開かれたサミットで満面の笑みをしている写真は記憶にとどめておこう。46日の大地震で270人以上の死者を出した場所であり、各国首脳は当然、そのことを踏まえてダークスーツで参加したのに対して、わが首相はご覧の通り。ファッションセンス以前の問題である。

さて、解散当日、
721日の風景は、意外なほどに「静か」だった。それまでの報道では、「造反組」が何かをやるとみられていたが、両院議員懇談会(総会にあらず)は突然公開となり、麻生太郎が目をうるませるなど、終始麻生ペース。最後は「ガンバロー」で終わった。代議士会では、反麻生の急先鋒の中川秀直(元幹事長)が、突然、首相に握手を求め、拍手喝采。一方、麻生のことを「徳のない」と断じた武部勤(元幹事長)は、一転して、「麻生総裁の下で総選挙を戦う」と宣言した。この人は、4年前の「9.11総選挙」の応援演説で、「ホリエモンはわが息子です」といっていたことを思い出した。

もはや内閣や与党の体をなしていない。空気が抜けたような話し方をする幹事長と官房長官ということもあって、メッセージが伝わってこない。この人選は、当初、麻生が一人で仕切るつもりだったことを示す。この内閣発足時、閣僚名簿読み上げを、首相自らがやるという慣例破りを行ったことも、記憶に新しい。直言「麻生お一人様内閣」を出して、そのことを指摘した。これをもう一度お読みいただきたい。そして、昨年の岡崎・安城両市での豪雨災害について彼が何といったのかも思い出してほしい。ほんの
11カ月前のことである。

それにしても、統治にたずさわり、「公」に対して自覚的であるべき政治家たちの「ミーイズム」が目立つ。安倍晋三(初代・内閣投げ捨て首相)も「私の内閣」という言い方を繰り返し行った。麻生も「解散は私が決めます」と、「私」を連発した。その「私」は
2118時からの記者会見で、解散・総選挙の意義について語り、幼児教育の無償化や雇用政策の強化など、「安心社会」実現を目指すと述べている。そのなかで、「行き過ぎた市場原理主義から、決別します」と断言している(首相官邸ホームページ『麻生内閣メールマガジン』40号〔2009723日〕)。これも覚えておこう。「構造改革」の荒野からの復興は緊急の課題だが、麻生首相は、なし崩し的に、小泉「構造改革」との距離を広げようとしている。この間、ずっと小泉路線に乗ってきたのに、総括も反省もない。票欲しさのためだけの路線修正といわれても仕方ないだろう。

(まだ、続きますが、この先は水島先生のホームページでご覧になってください)




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