2009年04月25日
「公然わいせつ」で逮捕がトップニュース
昨晩9時のNHKのトップニュースは一人の芸能人の「公然わいせつで逮捕」。合計10分ほどこのニュースに使っただろうか。このテレビ局って公共放送ではないのか?
一人の芸能人がどこでどのくらい飲もうが"Who cares?"(そんなことどうでもいい)と言いたい。しかし、それを「ニュース」にするだけでなく、トップに持ってくる「報道番組」ばかり。しかも、この芸能人の逮捕にコメントした大臣の「最低な人間」発言がまたまた「ニュース」になる。大臣もメディアのレベルも....、いや、やめとこう。
テレビ朝日の報道ステーションのトップニュースもこれ。10分以上も延々と続けた。新聞やテレビを見ない人が増えている今、大手メディアの間での競争は熾烈。競争に敗れないためには同じニュースを扱うのがよいと考えるのだろう。
私たちの生活にこのニュースは何か関係があるか。自殺者が11年連続で3万人。1日平均約88人(2008年)が自殺で亡くなっているこの社会で。
では、「何をニュースにするんだ」と言われたところで、その議論をしていないからわからない。「メディアリテラシー」は強調するが、ジャーナリズム教育は強調しない、「メディア学」でも。
なぜか?日本のメディアのレベルが低いことが分かってしまうからだ。また、ジャーナリストの特権を自分たち大手メディアの利益のために利用していることもばれてしまう。本来、ジャーナリストの特権は公共の利益のために使われるもの。
次の本はアメリカでは広く読まれている書を日本語に翻訳したものだが、あまり知られるとまずいのだろうか、推薦している人が少ない。メディア学の専門家でも読んでいないのではないか。このくらいの本を書ける人が日本に必要。専門家ではなくても読みやすい書だと思う。
「ジャーナリズムの原則」
ビル・コヴァッチ、トム・ローゼンスティール著
加藤岳文、斎藤邦泰(訳)
日本経済評論社 2002年12月発行
冒頭の部分を少し引用。
「ジャーナリズムの原則は、地域社会の持つ力をまのあたりにするわくわくとした気持ち、私たちのまわりのものごとがどういうしくみなのかを知る興奮、私たちの近隣でなにかものすごいことが起きていて、人びとと話合い、それに対応することができるとわかる感覚、要するに、地域社会を密接にし、人びとが自治することができるという概念に生命を与える原則なのです。」
「公然わいせつ」で逮捕をトップニュースに持ってくるべきか?このニュースが地域社会を密接にするのか?人々の自治に関係あるだろうか?