2011年02月18日
TPP反対集会 逢坂誠二
2月15日の「逢坂誠二の徒然日記」にはとても興味深く、また、大変参考になることが書かれていた。
TPP反対集会
逢坂誠二
昨日、北斗市内で、千人以上が参加して、TPPに反対する集会が開催され、多くの地元の道議とともに、私も参加しました。
TPPへの参加は、慎重であるべきです。よくよく検討し、参加に前向きな方々にも、参加による負の側面を十分に理解してもらわねばなりません。
私は、完全に自由な市場はあり得ないと考えています。また自由であれば、色々なことがうまく進むというのは幻想だと考えています。自由な市場で、自由な競争をするためには、その市場への参加者の条件が同一でなければ、条件不利な参加者の行いは継続不能になる可能性が高いのです。
条件を同一にできない分野の最たるものが、農業や林業です。 自由競争を主張する急先鋒のアメリカでも農業には多額の公的資金を投入し、様々な補強をしています。だから現在、世界で競争力を確保できているのです。単にアメリカの耕地面積が広いから競争力が強いわけではないのです。とにかくTPPや自由市場への幻想を取り払うべきです。
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水、空気、土地の類のものは、一度毀損すれば、回復が困難な資源です。こうしたことは、大正時代に、有島武郎が適確に指摘しています。さらに最近では、アメリカの営みがこの毀損の連続ではなかったことが指摘されつつあります。
ジャレド・ダイヤモンドの『文明崩壊』(2005年)を読んでも、そうしたことが理解できます。
アメリカは、国土面積の広い国です。多少毀損しても、新天地があるのかもしれません。しかし、日本の状況はそれとはまったく違います。日本は、瑞穂の国、みずみずしい稲の穂が実る、水資源の豊富な国です。しかしこのみずみずしさも、国土の微妙なバランスの上に成り立っています。ヒト・モノ・カネの自由な行き来によって、目先のゼニカネだけが判断の基準になってしまい、こうした日本の貴重な宝が毀損されることに危機感を抱いています。
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昨日の大会では、TPPについて、次の話をしています。
・TPPは一次産業vs工業などの問題ではなく社会全体の問題
・人口爆発の地球で食料の確保策は急務
・TPPによって、日本の公的社会保障の役割りが薄れ民間保険のウエイトが高まる可能性があり、所得によって、受けられる医療サービスに格差がでる可能性
・海外からの労働力が増加することによる様々な課題が発生
・TPPの是非に関係なく一次産業の強化は必須
・TPP参加是非議論よりも、しばらく議論してこなかった国のあり方を論ずることが重要
こうした話をしつつ、TPP参加には反対と話をしました。
2)不安
最近、色々なことに不安を覚えています。
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政治家は、どんなに困難な中であっても希望を失ってはなりません。厳しい中にあっても、持てる限りの力を駆使して、国民に、そして社会全体に光をさししめすのが政治家の大きな役割です。この気持ちに何の変わりもありません。
しかし、最近の私の不安は、今の社会でのものごとの判断があまりに短絡的、刹那的なことです。
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前述のTPPもその例の一つです。
TPPは、日本の将来の外交・政治・経済・文化、そして社会全体に影響を及ぼす重大な問題です。しかし、それが、主にGDPや雇用への影響が中心に議論され、大局的な見地が欠如しています。これでは日本の将来を誤ります。もっと慎重であるべきです。
もっと長期的に日本の将来と国益を考えて結論を出すべきなのです。TPPに限らず、多くの場面にこうした大きな視点が欠如していることに、大いなる不安を覚えます。
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もちろん逆に感じている方も多いと思います。今すぐTPPに加入しなければ、日本経済はダメになるとの不安を抱えている方々です。しかしこの多くの場合、我慢や信念、長期展望が欠如が、こうした不安を助長しているのです。
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幾つかの地域の、市町村合併議論がまさにそうでした。
「合併をしなければ立ち行かない。」
根拠のはっきりしないこんな不安に駆り立てられて、合併に対する十分な根拠と見通しもないままに、とにかく合併が先だ、今はそういう時代なんだと、判断をしたケースがあったのではないでしょうか。
「合併をしなければ立ち行かない」のは、なぜか、そのことを十分に分析したでしょうか。あるいは住民の皆さんと十分に話し合うことがあったのでしょうか。
合併すれば、あたかも自動的に地域が良くなるのかのような錯覚があった、そんな地域もあるのではないでしょうか。
地域の長期的なあり方を見通して、合併する、しないの判断をすべきだったはずですが、そうではなかった地域に、今、後悔はないでしょうか。
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最近のTPP議論を見ていると、一部地域の市町村合併時の見通しのない議論に極めて似ている気がします。
今の日本には、この雰囲気が横行しています。
何か根拠のない不安や、効果のハッキリしない大衆迎合的な政策に煽られて、十分な見通しもないままに、国民が簡単に判断するケースが多すぎます。
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たとえば地方税の減税もそうです。
確かに増税よりも、減税は人気があるでしょう。しかし、多額の地方債残高があること、単年度も地方債を発行していること、加えて地方交付税の交付団体であることなど、こうした現実と地方税減税をどう結び付けるのでしょうか。
もちろん地方債残高があり、単年度に地方債を発行し、地方交付税を交付されているからといって、地方税減税ができないものではありません。しかし、それには相当の根拠や理屈がいるのです。単に多数決で、減税賛成派が多かったから減税すべきというものではないのです。
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とにかく長期的視点での、大きな議論がなさすぎます。
今時点の短期的見通しによる、個別分野の議論が正しかったとしても、社会の、それらあまたの議論をつなぎ合わせ、積み上げた結果、将来、おかしな国になることを避ける…、それを判断するのが政治家の役割の一つです。
その長期的な判断が、現在の個別議論と対立し、国民に受け入れられないとしても、粘り強く説得せねばなりませんし、説得のための機会を増やさねばなりません。国民が受け入れ易いからといって、その場しのぎの刹那的な判断に甘えてはいけないのです。
これが専門的な政治家が政治というもの担う理由の一つです。
製造業や農林水産業、教育、医療、土木、建築など、国民の皆さんは、あらゆる分野で必死になっています。その分野で最大の効果があがるよう努力をしています。そして場合によっては、長期的視点などを持つ余裕もなく、明日の手形決済に奔走する現実があるのかもしれません。
こうした社会の中で、総合性と長期的視点を持った判断が政治の場に求められているのです。もちろん政治家には、短期的な判断により、即、対応しなければならない役割があるのも事実です。しかし他の分野では、なかなか兼ね備えにくいかもしれない総合性と長期的視点を失えば、それはもはや政治とは言えません。長短期的視点と総合性、政治家には、それが必要なのです。
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果たして、ここ30年の日本の政治に、こうしたことがあったのかどうか、さらに今、あるのかどうか、大きな不安の中におります。しかし、私なりに、大きな視野で進む覚悟です。昨日のTPP反対は、そうした思いの具体化です。