2010年04月10日
「小沢氏は辞任すべき」とよく聞くが
「小沢幹事長は辞任しろ」とよく聞くけど
最近、取材以外で会った多くの人は、小沢氏は「いい加減にやめればいいのに」などと吐き捨てていた。なかには、もっと強い口調の人も。
主張することはいいことだが、その主張の裏付けは?
そこで、「小沢さんは何したの?」「なぜ辞めなくてはいけない?」と聞いてみると、誰一人として答えられない。このようなことを聞いたせいか、険悪な空気が漂い始めた気もしたし、こちらをにらむ人までいた(聞くのが自分の役割なので許してもらいたい、ただ、好奇心からどうしてそう思うのか知りたいだけなのだ)。
石川議員は辞任するべきだという大騒ぎもいつの間にかどこかへ消えていった
(当時はそう思っていても、今は石川議員って誰?と思う人も少なくないだろう、そんなもんだ)。そういえば、生方議員の報道もいつのまにか消えた。なんか、日本の報道の方は、あっちへ群れを成して押し寄せ、また、違う方向に押し寄せたりとご苦労が絶えないようだ。自分の貴重な時間をこんな最低レベルの「報道」だけには絶対に費やしたくない。
「政治と金」の問題など以前からある。ただ、どのように解決するべきかという議論があるのだろうか。
大手メディアは、小沢氏を批判する大臣や議員にはすぐにマイクを向ける。誰のコメントをメディアに掲載するかで、偏向報道などいくらでもつくれるのだ。
スナップショットのようなうわべだけの「報道」や偏った「報道」が朝から晩まで、そして翌日も繰り返され、そこから、ただなんとなーく分かったようなつもりになっていないだろうか。多くの人が言っているから、多数派の方が居心地がいいから、そのような主張をするのだろうか。だから、多くの場合、裏付けのない主張なのではないか。自分の主張を裏付けることができないのだ。
以前は、日本の人々は問題意識が低いと言われていたが(同じ日本の人々に)、それが、数年前は「民度が低い」になり、最近ではもっとすごい表現になっている。ただ、仕事や家事が忙しくてニュースをチェックする時間がないという人も少なくない。
罰することが、この国の人々はかなり好きらしい。足利事件の再審で無罪となった菅家さんも、当時は最初から世間に「犯人」扱いされていて、罰することを望む人は彼を支援する人々にかなりひどい言葉を浴びせた。まぁ、犯人扱いをした中心的存在がメディアだからお話にならないのだが。
最近会った20代の知り合いは次のように言っていた。
「メディアは不確定情報を流しすぎ。うちの家族も『容疑者』イコール『犯罪者』だと思っている。『まだ、犯人かどうか分からないでしょ』と言っても、家族は『だって、テレビが言っているもん』なんて言っている」
罰することで社会が良くなるとでも思っているのだろうか。この国では、およそ140年前までは封建制が続いていた、そんなバックグラウンドも影響しているのだろう。
だから、死刑制度も何にも理解しないまま、知らないまま、(それはそう、国もメディアも情報を与えないから)、死刑制度に「賛成」しているいいかげんな方々が多い。
安倍さんとディナーを楽しむジャーナリスト、メディア幹部 2017年
安倍さんとディナーを楽しむジャーナリスト、メディア幹部 2016年
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