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2010年01月10日

「沖縄から戦後日本を照射する 佐野眞一出版記念講演会」


下記の記事は2008年10月19日に掲載されたものですが、今大騒ぎしている「日米同盟」に関してとても参考になると思います。残念ながら佐野氏の書はまだ読んでいませんが、かなり高い評価を得ています。浦島さんの記事もとても読みやすいです。

 

沖縄から戦後日本を照射する 佐野眞一出版記念講演会

浦島悦子

 

 

『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社インターナショナル発行、9月26日発売)を刊行したばかりのノンフィクション作家・佐野眞一さんの出版記念講演会が10月10日夜、那覇市の琉球新報ホールで開催された。

 同書は、『月刊PLAYBOY』に2005年10月号から2008年3月号まで33回にわたって連載されたルポルタージュ「沖縄コンフィデンシャル」を大幅に加筆修正・再構成したもの。米軍、警察、ヤクザ、右翼、軍用地主、政財界、密貿易、島唄など戦後沖縄の表社会・裏社会、それを生きた人々を通して、戦後日本を照射する。本文600頁以上の大作ながら、価格は1900円(税別)と破格の廉価だ。

 講演会は前泊博盛・琉球新報論説副委員長の司会で始まり、記念講演会実行委員会代表世話人の宮里昭也・琉球新報社元会長が「400人近い人々へのインタビューと約250件の参考文献にもとづいて書かれたこの本は、沖縄がこれからどのように進めばいいのかを示唆している」と挨拶。佐野さんのすべての沖縄取材に同行したという月刊PLAYBOYの高田功・副編集長が共催者挨拶を行った。

 記念講演のために10月10日という日を選んだのは佐野さん本人だという。1944年10月10日、沖縄島を襲った米軍の大空襲は旧那覇市内の約90%を灰燼と化し、島内各地にもさまざまな被害を与えた。それは「十・十空襲(じゅうじゅうくうしゅう)」と呼ばれ、翌年の沖縄地上戦の前触れを告げるものであった。この日から「沖縄の戦争」が本格的に始まった、というのが、沖縄戦体験者たちの共通認識だ。
 講演の冒頭で佐野さんは、10月10日を選んだ意味を「十・十空襲の日に紙の爆弾を持って(沖縄へ)やってきた」と表現した。以下、佐野さんの講演内容をかいつまんでご紹介したい。

なぜ書くようになったか
 1947年生まれ。団塊の世代と呼ばれるが、この言葉は嫌いだ。「日本の貧しさを知る最後の世代であると同時に、日本が豊かになることを実感した最初の世代でもある」と定義し直したい(これは、同世代である筆者の胸にもストンと落ちた)。

 戦後日本の高度経済成長は世界史的にも例のない事件だ。功罪を含めてそれがなぜ、どういう構造で起きたのかを解明することが自分の骨がらみのテーマとなった。

日本の戦後高度経済成長を可能にしたもの
 日本の高度成長は米国抜きには語れない。米国の傘の下に入ることによって、軍事・防衛問題を米国に一任し、経済に集中できた(昭和30年頃から急速に豊かになる)。

 高度経済成長は、
1.教育の画一化(企業にとって有用な人材を輩出。農業の崩壊)
2.メディア(大新聞、テレビなどによって全国津々浦々まで情報が届く)
3.消費(流通革命、スーパーマーケットなど)

 によって可能になったが、それは、敗戦によって失われた満州(日本の国土の3倍の面積)を日本国内に取り戻す官民一体のゲームだった。そういう見方から『阿片王 満州の夜と霧』(05年、新潮社刊)『甘粕正彦 乱心の曠野』(08年、同)を書いた。

高度成長の代償
 高度経済成長の反対給付として日本が米国に差し出したのが沖縄である。満州という時間軸と沖縄という空間軸のクロスしたところに戦後日本、日本の今がある。

これまでの沖縄本の限界
 沖縄についてこれまで多くの本が書かれてきたが、そのほとんどは被害者意識、あるいは大江健三郎的沖縄論(沖縄に謝罪する)であり、昭和20年6月23日で終わっている。戦後63年の分厚い沖縄の歴史を検証する必要があると思い、予備取材を含め7年間をかけて取材した。

 それを発表する踏ん切りをつけてくれたのは、沖縄のある新聞記者の「沖縄(の内部)では書けないことを書いて欲しい、リレーして欲しい」という一言であり、「人間は記録されたものしか記憶できない」という宮本常一の言葉だった。

日本と沖縄
 現在の日本は世界の中の孤児になりつつあり、日本漂流のテコとして沖縄が使われている。日本の希望のなさは、世襲議員に象徴されるような社会全体の流動性のなさであり、それがさまざまなゆがみ、淀みを生み出している。今後、沖縄がどうなるかによって日本という国の舵取りが大きく変わってくる。
  

 佐野さんは、聴衆の中に少なくないであろう新聞関係者に対し「新聞は明らかに戦争に加担した」と注意を喚起し、ノンフィクションの書き方について「脳みそに汗をかくこと。まず仮説を立てる。それに基づいて現場に取材に行くと、必ず裏切られる。裏切られても裏切られても、己に鞭打って取材を続けていけるかどうかだ。絶えずさまざまなものに好奇心、それも批判的な好奇心を持つこと」とアドバイスした。

 取材の中でのさまざまなエピソードも非常に興味深かった。「人間はいつも歴史の目撃者であり、当事者である」という彼の言葉に、筆者だけでなく聴衆の多くが納得し、勇気づけられたことだろう。

 




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