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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年10月29日

「日本は変わらない、変わらない」と言われるが

先日、福祉の仕事をしている知り合いを埼玉県の田舎の駅前で待っていたら、駅のエスカレーターを降りたところで、しばらくの間、彼は男の人に話しかけられていました。何を聞かれていたの、と尋ねると、その男性はボランティアで車いす利用者の介助を始めたらしく、車いす利用者とともにエスカレーターを利用するときの注意点を彼に確認していたということです。実は、その知り合いもその時、車いす利用者の介助をしているところでした。その話を聞いて、思わず、「日本もほんとうに変わった」と言ってしまいました。

 

15年前には「ボランティア」などという言葉はほとんど聞かれませんでした。1995年1月17日に起きたいわゆる「阪神・淡路大震災」で、いざという時の政府の対応が遅れ「人災」などと批判される一方、多くの人々が現地に入って救助活動をしました。その震災以降、ボランティア活動がとくに盛んになり、市民団体の活動の重要性、市民団体と行政の協働の重要性も一層認識されました。また、NPO法なども制定され、NPO団体などが国中に設立されたのです。

 

二日前に訪れた埼玉県の障害者施設でも、幅広い年齢層が、さまざまな形でボランティアをしてくれると施設の人が言っていました。例えば、その施設に入ってボランティアをする人以外にも、洋裁のボランティアをする人がいたり、子どもたちが訪れ障害者のために歌を歌ったり、ボランティアがその施設でも重要な役割を担っていることを知りました。ちなみに私の親戚の子どもたちも高齢者施設を訪れダンスのパフォーマンスを行ってきました。

 

日本は「変わらない、変わらない」と言う海外の専門家もいますが、毎日毎日変化しているのですね。そんな記事を大震災のちょうど10年後の2005年1月に書きました。

Japan quake legacy: volunteering


 

  


Posted by take at 12:37Comments(0)日記&その他

2009年10月29日

記者クラブは「知の鎖国」の象徴

 

以下は、世界中で読まれている「インターナショナル・ヘラルド・トリビューン」に1993年6月16日に掲載された記事の一部です。日本に詳しいカリフォルニア州立大学サンディエゴ校のチャーマーズ・ジョンソン教授が書いたものです。今から16年以上も前の記事の中で「記者クラブ」が批判されており、それが世界中で読まれていたわけです。


Artificial Cartels of the Mind Justify Distrust of Japan

By Chalmers Johnson

 

Japanese newspaper readers themselves depend on news that has
been obtained under an implicit agreement that, in return for
access to a government agency, political party or industrial group,
nothing embarrassing will be printed…..
Until Japan relaxes these cartels of the mind, its process of
internationalization is meaningless.

 

 

「日本の新聞の読者は、(新聞が)政府省庁、政党、企業グループなどへアクセスできる見返りに、彼らが困るようなことは記事にしないという暗黙の了解のもとで書かれたニュースに頼っている。(中略)日本がこのような知の鎖国状態を緩和しない限り、日本の国際化の過程など無意味だ」

 

記者クラブの閉鎖性が含まれる「知の鎖国」という表現はアイヴァン・ホール氏の書のタイトルである「知の鎖国 - 外国人を排除する日本の知識人産業」を参考にしました。

 

自分たちに都合の悪いことは無視しがちな大手メディアはもちろん「記者クラブ問題」を報道してきませんでした。大手メディアを守ってきた多くの「知識人」や政治家の方々も問題視してきませんでした。社会のためにはまったくなりません。そもそも政府や警察の中だけにいて、「ニュース」を「報道」していること自体に問題があります。しかし、そのようなシステムに慣れた人々が現在新聞の記事を書いたり、社説やコラムを書いたり、テレビでコメントしたりしているわけです。ある意味、すごい、です。