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Posted by 京つう運営事務局 at

2009年06月22日

下関で(3) 春帆楼

 

下関では、ふぐ(下関ではふく)と政治とのつながりの象徴とも言えるのが春帆楼だろう。初代総理大臣・伊藤博文に名付けられ、ここでふぐ料理を食したのを機にふぐの禁制を解いた。また、日清講和条約の舞台ともなった。今も日本各地から客が訪れるという。関門海峡を眺めることができる高台に位置している。

  


Posted by take at 17:00Comments(0)日記&その他

2009年06月22日

ネガティブ思考 vs 可能性(2)

予備校や塾で仕事をすると、担当した生徒のうち何人が「有名校」に入ったことで評価されることが多い。東京の予備校で教えていたときはぼくよりも超ベテランの先生が「有名大学」希望の生徒を担当していたので、ぼくが担当した生徒の中には中学校レベルの英語も理解できていない生徒が少なくなかった。

その一人が都立の「進学校」と呼ばれる高校に通う
Y君だった。彼の場合、大きな問題の一つは、周囲の人が彼を洗脳していたことだ。彼は「理系だから英語はできない」というもの。何にも知らないくせに勝手なことを言う大人がいるもんだ。ちなみに、彼の親も、その「進学校」の担任も、そこの予備校の部長までも言っていた。

Y
君と出会ったのは彼が高校2年の秋。そのとき初めて、学校の定期試験の成績を見せてもらった。英語の成績は7点だった。10点満点の7ではなく、100点満点の7だ。自分は「理系」だからと、あきらめている感が強かった。もちろん実力テストの成績もその「進学校」では最後の方だった。その一方、彼の数学のスコアはその学校でトップクラスだった。

彼を担当するよう予備校側から頼まれたとき、まったく問題ないと思った。「進学校」の生徒なので、いちおう、学習しようという気持ちはあるし、その習慣もある。「理系」ということで数学が得意なので、もちろん、こちらも英語が得意な「文系」生徒とは異なるアプローチの方法を知っていた。

しかし、昨日話した
Kさんとは異なり、Y君はサボりぐせがあった。だから、最初の半年はあまり伸びなかった。ぼくも「君ならできる」と繰り返し言っていたから、3年の夏休みくらいから真剣に始めればいいと考えていたようだ。夏休みに入り、少し真面目に取り組むようになったが、それまでのサボりのせいで、9月のセンター試験の模試の成績が200点満点で100もいかなかった。10月のテストも100以下だった。


その「進学校」の英語の教師にも問題があった。意味のない単語のテストをさせるので、Y君はその勉強もしていた。その単語テストの作成方法もひどかったので、もうその勉強はしないように言った。こんなひどい教師でも税金がふところに転がり込むのだ。学校で配布されている問題集もよくなかったので、あまり手をつけないように言った。受験が迫っているので、時間を浪費したくなかった。皮肉なことだが、その「進学校」で行っていた学習そのものが時間の浪費だった。


思ったほどスコアが伸びないことにY君は焦りを感じ始めたようで、ぼくが提案することはすべて実行するようになった。課題を出さないときは向こうから要求してきた。顔つきが変わったと思ったのは10月後半だった。英語は、その学習に熱を入れ始めても結果が出るのに少し時間がかかるので、1月のセンター試験には少しよい結果が出るだろうと期待した。

やはり、予想通り、センター試験ではある程度の結果が出た。170点だった。それより驚いたのはその後の快進撃だった。なんと受けた大学(明治大学、東京理科大学など)すべて合格した。しかも、英語のテストで高得点を取れたと得意げに話していた。最終的に、彼は国立大学に入学することになった。その年のその予備校の3年生の受験の結果は惨憺たるものだった。東大に確実に入れると思われていた生徒がセンター試験の英語で大きなミスをした。なんと
Y君の170にも届かないスコアだった。

「理系だから英語はできない」と洗脳していた親や高校の教師は、どんな反応をしたのだろうか。そういえば、彼の父親も都立高校の教師だった。