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2009年06月03日

メディアギャップ(1)

メディア・ギャップ(1)
「ニューヨーク・タイムスのニュースってほんとうにおもしろいですね。アメリカではいつも必ず読んでいました」アメリカに留学していた日本人の女性にそう声をかけられた。ニューヨーク・タイムスだけじゃない。今もウォール・ストリート・ジャーナルやワシントン・ポストを読んでいる人は日本の新聞と比較にならないと口々にいう。付け足すと、あまり名が知られていない地方紙にもおもしろい記事が多い。クリスチャン・サイエンス・モニター(CSM)もたいへん素晴らしい記事を書く記者が多い。新聞から学ぶことがとても多い。

では、なぜ、おもしろいのか?
 

簡単に言うと、新聞が社会を反映させようとしているからだろう。

どのように?

いろいろな人が記事を書いている。日本と異なり、女性の記者はおよそ半数。同性愛者もいれば、アジア系、中東系、ヒスパニック系、ヨーロッパ系、アフリカン・アメリカン、3人の子どもを持ったシングルマザーもいれば、高卒もいる。20代のベトナム系の女性記者もいれば、60代のヨーロッパ系の記者もいる。元弁護士もいれば、元銀行員も、環境団体でアクティビスト(活動家)だった人もいる。裕福な家庭に育ったものもいれば、貧困からはい上がった記者もいる。難民に認定されてアメリカに来た人もいる。これだけいろいろな人の目を通して書かれた記事が集まれば学ぶことも当然多いだろう。自分が今まで気づかなかった視点を当然提供してくれる。アメリカという国は一つだが、ものの見方は人間の数だけある。日本の場合は権力側の視点を押し付けてくる。つまり、政府や大企業の発表ものが多い。

ちなみに自分がいつもやりとりする副編集長は40代の女性と20代のアジア系の女性(クリスチャン・サイエンス・モニター)、ワシントンの新聞も副編集長は女性だ。ニューヨーク・タイムスも国際部のトップは女性だ。ミシシッピ大学で大学の新聞に記事を書いていたときの編集長は19歳のメラニー・シンプソンという女性だった。しかも、メラニーが編集長になってから、紙面が改善されていったのは誰の目にも明らかだった。

日本では、メディアの世界は、政治同様、男性中心。似たような大学の卒業生で、ずっと同じ会社で正社員として勤めている人間が大多数を占める(だから、雇用問題の報道がひどすぎる)。しかも、縦社会のため、上司の顔をうかがいながら、仕事をしてきた人間だ(森田実氏いわく、「ひらめのごとく」)。一般の人々、つまり、社会を見て仕事をしていない。地方などまったく見えていない。たとえ見ていたとしても、日本のメディアの場合は編集長の権限がとても強いので、自分が書きたいと思う記事はほとんど書けないだろう。このような新聞は社会を反映しているとは思えない。だから、つまらない。この意見はとてもよく聞く。

日本は男尊女卑の社会であるが、その中でも、テレビや新聞の世界は超がつくだろう。元
NHKにいた女性にこの話をしてもらうと何時間あっても時間が足りない。そんな、超男尊女卑の組織の中でずっと正社員であり、その超男尊女卑の組織の中心となっている人々がテレビ番組に出てきて、いかにも社会を知ったような感じでコメントする。もちろん、超男尊女卑の組織の中心にいるので、新聞の社説も書く。なかには、大学で「教授」として「メディア学」などを担当するのだ。読者も視聴者も学生もたまったもんじゃない。すごい社会に住んでいるものだ。

「日本/権力構造の謎」などの著書で知られるオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏にインタビューしたときに次のように私に言った。

「日本の人々はほんとうに真面目だ。私の本も一生懸命に読んでくれる。でも、日本の一番の悲劇は日本の人々が真面目に大新聞を読み、テレビのニュースをよく見ていることだ」

  


Posted by take at 07:00Comments(0)メディア格差